事実を調べること

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『それがあなたに告げられて、あなたが聞いたなら、あなたはよく調査しなさい。もし、そのことが事実で、確かであり、この忌みきらうべきことがイスラエルのうちに行われたのなら、(新改訳聖書 申命記17章4節)』

 「隔離」、脳梗塞で入院した昨年の11月、その病院の脳神経内科の病棟は、8階でした。一週間ほどでしたが、見舞いと着替えを届けるために息子たちが来て、階段そばにある控え室で待っていました。そしてガラス越しに話をしたのです。入院患者は、ロックされたドアーで、出入りが遮断されて、直接会えないのです。もちろん、一階にあるコンビニにも行かれませんでした。病棟から入院患者が離れる危険性を防ぐためでした。

 まさに隔離病棟さながらでした。どこにいく予定もありませんが、隔離されていると言うことで、急な病変への配慮がありますが、不自由を感じるのは、その中にいない限りは感じられません。そんな経験をしたのです。

 子育て真っ盛り、まだ次男が3歳ほどの頃に、入院していたこともありました。『術後すぐに動いたほうがいいですよ!』と、先輩の入院患者さんに言われて、翌日には、歩行サポートの歩行器に寄りかかりながら歩き出したのです。痛くて、階下に行くなどできませんでした。同じ階の廊下だけを歩けたのです。その時は隔離ではなかったのですが、それだけで不自由を私は感じていました。

 退院して、仕事に復帰して間もなく、一人の牧師夫人を、「婦人ランチョン」にお招きしました。すでに召されておいでの関西圏で活躍された牧師さんのご夫人だったのです。この方が、瀬戸内海の小島にある教会で、私のことをお話しされたそうです。それで、その教会のみなさんから、けっこう高額な献金をいただいたことがあったのです。

 この教会は、ハンセン病の患者さんたちの教会で、まだ隔離制作のおかげで、社会と隔絶されておいででした。それは、欧米諸国では、はるか以前に、隔離政策は排除されていたのに、日本では律法上の政策によって、まだ不自由を強いた隔離政策が実効していた時期でした。

 「小島の春」を出版して脚光を浴びた小川正子も、「生きがい」と言う著書で、高い評価を受けていた、神谷美恵子も、この隔離政策を、医師として主張した人で、この方たちの功罪が、とかく言われてきています。今の上皇后に必要のあった時に、この神谷美恵子が相談相手になっていたことがありますが、隔離反対のみなさんからは厳しい評価が下されていたのです。

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 偉人と言われているシュバイツアーも、野口英世も、マザー・テレサも、キング牧師も、実に功罪二面の人でした。貢献が先走りして、隠されていた部分、公に表沙汰にされないままで、看過されてきた暗部や陰を持ち合わせていることを忘れてはなりません。私は、この名だたるみなさん、を引き摺り下ろそうとしたいのではありません。故意に隠された事実なのです。

 敢えて隠されてきた、成功的な人物の scandalous な部分、その「事実」に触れないのは、不公正なのではないでしょうか。あの織田信長が、戦国武将の中では高評価を、いまだに得ているのですが、彼が覇権を握る段階でしていた、破廉恥で、非人間的なことごとを隠蔽するのと同じように思えるのです。『仕方がなかった!』と言うのは、追随者の言い訳なのです。

 『事実、真実を語るとパニックが起こるから!』、と公表を控えて、事実を隠蔽してしまうのは、正しいことではありません。今回のコロナ騒動の中で、政府主導で行われたワクチン接種で、安全性を確かめる期間をおかないで摂取した結果、多くの死者や後遺症患者が出て、その実数を知らせないでいたりしているのも、そう言ったことの一つだからです。事実は、知らされるべきです。人や出来事を糾弾するためではありません。薬害から守られるためですし、「思い違い」から解放されるためでもあります。事実かどうかを調べる必要がありそうです。

(ウイキペディアの瀬戸内海の風景、近所の病院の待合室の生花です)

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