ことば

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 「子どもは言葉を食べて成長します。子どもの言葉が豊かになるのは、家庭での言葉が豊かであるかどうかにかかってきます。耳で聞く言葉が豊かであるというのは、何より大切なことです。(松居直)」

 一昨日、上の娘から FaceTime があって、 母娘の会話を聞いていました。お母さんの事情で、おばあちゃんが面倒をみている3歳の女の子の世話を、娘が頼まれてしているのだそうです。

 どうも生活習慣が身についていないそうで、自己表現を言葉ですることもできないで、排泄習慣もできていないそうです。きっとサリヴァン夫人が、ヘレンに初めて会った時の様な状況に似ているのかなと思ったのです。もちろんヘレンとは違って三重苦ではなく、言葉を教えられていない様です。

 人の語ることばを必要としているので、話しかけて上げる様に、私は口を挟んだのです。子どもたちは、様々な家庭環境に中で育っています。東京でもホホルルでも、戦時下のウクライナでも、子どもたちは自分の育っていく環境を選ぶことはできません。

 働かなければ食べていけないお母さんたちがいます。躾などする時間的な金銭的な余裕がないかも知れません。一緒にいることもままならず、やむなく母子分離の中で生きている、このお嬢さんが、必要としてるのは、機械を通して耳に届く金属音ではなく、人が口で舌で語る「ことばなのでしょう。

 よくテレビに子守役をまかして、つけっぱなしの中に置かれている子どもたちがいます。それでことばを覚えていくことはありません。お母さんの腕に抱かれ、お母さんの呼吸や胸の鼓動を感じ、語りかけることばで、子どもはことばを覚えるのです。

 私を育ててくれた母のことを思い出しています。私が、お腹にいた時、山形から中部山岳地帯の山奥に、汽車を乗り継いで、父の仕事で、長旅をして越して来たのです。母は27歳でした。戦時下の物資の乏しい中で、育ててくれたのです。イタズラ小僧で病弱でしたから、手を焼かした子であったのでしょう。頭をポカッツと叩かれたことなどありませんでした。弟は、つねられたことがあり、私がそれを一緒にやったと言っていますが、信じられないのです。

 人の悪口を言うことなどありませんでした。交通事故で大怪我をしても、卵巣がんになった時も、弱音を吐きませんでした。グッつと我慢していたのです。父にも四人の男の子にもそうだったのでしょう。

 「ことば」を覚えたのも、話しかけてくれたからでしょう。もちろん戦後の山奥では、絵本などの幼児書籍などなかったのです。高等教育など受けていなかったのに、漢字を知っていて、よく聞くと教えてくれました。聖書を読んでいた人だったのでしょう。『聖書にこう書いてある。』と言って「聖句」を教えてくれたのです。

 恵まれない環境の中で3歳になったお嬢さんに必要なのは、「ことば」です。欠けていることに注目するのではなく、これから学べる可能性を信じて上げることでしょう。自分は迷惑な存在ではなく、『あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)』、神が、どの様にご覧になっているかを知らせるのです。喜怒哀楽を表せる感情表現ができて欲しいのです。欠けたるを補うことにできる神がいるのです。

 聞き続けると、蓄積された「ことば」が、語り出されていくのです。だから子どもたちをhappy にさせられる「ことば」を親は、《語って上げること》です。特殊事情の場合は、母の代役として、語って上げることでしょう。一個の人格の尊厳を認めながらです。「キリストの大使」になるかも知れないからです。松居直氏は、「現在は言葉がやせ細っており、言葉を必要としない究極の状態が戦争だ!」とも言っています。ウクライナ戦時下、一方的に語るだけではダメです。「ことば」が引き出される必要があります。

(松居直氏の「福音館書店」が出版した「ぐりとぐら」の表紙です)

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