焼き芋と古新聞紙

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 北風が吹き抜ける路上で、一番の美味しい食べ物は、「焼き芋」だったでしょうか。きっと夏は、アイスキャンディーを売っていたおじさんが、冬場になると、リヤカーに、焼き芋道具一式を載せて、かまどで火を炊きながら、『イッシヤーキイモ!』と言いながら挽き売りしていた光景が浮かんできます。

 焼いたサツマ芋を包んでくれたのは、決まって、<古新聞紙>だったのです。華南の街で、ちょうど今頃の季節でした、『今日あたりは、线面xianmian(日本のソー麺に似ていました)を干す時季なんです!』と言ってくれた方がいました。『新聞紙の上がいいそうです!』と言われたのです。頂いた麺はありましたが、新聞購読をしていないわが家には、全くなかったのです。

 そういえば、読み終わった新聞紙、いろいろなものに用立てていたのを思い出したのです。トイレットペーパーのない時代の代表的な用紙でしたし、何かを包装するには、これが使われていました。畳を干した後に、畳の下に引いたり、タンスの引き出しに乾燥用に敷いたりしたでしょうか。兜を作ったこともありましたし、丸めて、チャンバラごっこもしたかな。

 情報を得るために果たした新聞紙が、読み終わった後に、そんな役割があったのを、今になって懐かしく思い出します。なんでも再利用していた時代、物の大切さの薄れた時代から思い返すと、随分堅実な時代だったわけです。アツアツの焼き芋の熱さを、薄い新聞紙一枚で包んで、手で持てた感触も懐かしいものです。

 母が漬けた大根漬けを、父が、美味しいので同僚に分けて上げたくて、それを新聞紙に包んで、中央線の電車に乗って、日本橋や浅草橋の会社に持って行っていたことがありました。車内は、糠(ぬか)の発酵臭で、ずいぶん臭かったのではないでしょうか。ビニールやプラスチックのない時代の懐かしい臭いです。そう言えば匂いのしない時代になっているかも知れません。

 古新聞を回収して、今でも再生紙を作っているのでしょうか。同じ牧師をされていた方が、時間のある時に、トラックで古新聞紙や段ボールの回収業のお仕事をしておられて、子どもたちを街の国立大学に行かせていました。恥じず衒(てら)わずに、それを続けられて、若くして亡くなられましたが、何時も背筋を真っ直ぐにして、凛とされた方でした。この方と、よく交流させていただいた、若い日が懐かしく思い出されます。ご子息は、同じ牧師となられておいでです。

 華南の街では、新聞の回収をする様子を見たことがありませんでしたが、私たちの教会に、新聞配達をしていた方がいました。その方が、風呂桶を見つけてくれて、買ったことがありました。でも、お湯を桶に入れるのに、壁掛けの電気の湯沸かし器では足りなく、けっきょくシャワーに戻ってしまい、宝の持ち腐れでした。

 ここ北関東でも、今年はまだ北風の寒風が吹いていないようです。それでも、焼き芋、ホクホクしたサツマイモやジャガイモを食べたくなってしまいました。そう言えば、濡れ新聞紙で包んで、落ち葉の焚き火の中で焼いた焼き芋が、一番美味しかったのです。自分で焼きたくても、ガスコンロでは難しそうです。

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