宇宙への road

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 正倉院の宝物庫の中に、「 silk road / シルクロード」で運ばれた交易品が収められてあります。陸路と回路で日本に渡ってきたのだと、小学校の歴史で学んで、中国大陸からヨーロッパに広がるユーラシア大陸に思いを馳せた記憶があります。そのシルクロードは、「長安(現在の西安)」や「洛陽」と「ローマ」や「アンテオケ」を結ぶ通商のための交易路だとされていますが、どこが起点で終だったのかは特定できていません。それで好いのでしょう。

 ところが、古代には、この様な呼称で呼ばれていたのではなく、1877年に、ドイツに地理学者のリヒトフォーヘンが書き著した、「China」という著書の中に、初めて現れた呼び名なのです。その交易の主要な品目を「絹」と特定して、そう呼んだことになります。ですから、かつては「草原の道」、「オアシスの道」、「海の道」だったのを、総合したものとして、学者が命名して、それを私たちは学校で学んだわけです。

 もうずいぶん前になりますが、NHKが、「シルクロード」という特集を放送してから、急に注目され始めたのではないでしょうか。金儲けの道だったのが、夢も運んで、人の営みの栄枯盛衰を描き出した、悠久の世界でした。

 砂漠を歩み、オアシスを目指した道を、文明の利器を使って高い所から鳥瞰(ちょうかん)的に描き出していました。まるで映像の魔法にかけられた様に、見入ってしまったのを覚えています。

 時代はずっと下って、民代の永楽帝に仕えた、「鄭和(ていわ/Zheng He)」という武将で、海洋探検家として、最初に、62艘の大船団を組んでマラッカ、後には、アラビヤやアフリカまで出掛けています。

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 南京を船出し、福建省の長楽、泉州などをへて、航海をしたのです。ポルトガルなどによる、ヨーロッパ大航海時代のだいぶ前に始まっているのが特徴なのだそうです。その長楽の闽江(minjiang)の河口の近くの東シナ海を眺められる村に連れて行ってもらったことがあり、そこに、とてつもなく大きな鄭和の像があってとても驚かされたのです。

 そのような海伝いの海路を、「海のシルクロード」と、今は呼んでいます。古来商人たちは、どこまでも出掛けていき、危険を冒しながら、物を運びながら商いをしてきています。中国は、日本やドイツの新幹線の鉄道技術を導入して、その高速鉄道を広げ、今やアラブからヨーロッパにもつなげようとしています。もう「鉄路のシルクロード」が敷設されていくことになりそうです。

 ラクダの隊商が、月の砂漠をはるばると辿る道の険しさと悠長さとは、現代は 、もう似ても似つかない時代になってきていることになります。鄭和の船団も、帆船でしたから、吹く風に任せた船旅だった事になります。「丝绸之路sichou」と呼んでも、絹などではなく、これからは何が運ばれていくのでしょうか。野心ではなく、友情とか博愛など、人間や文化の交流とかいう穏やかなもので交流できたら好いのではないか、と思ってしまいます。

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 ところが時代は、もう、陸や海ではなく空、しかも、宇宙が、国家間の覇権の競争の場になっているのに違いありません。そのおかげで、宇宙はゴミだらけになっていて、直近の課題は、「宇宙」の清掃のようです。近い将来の起業分野は、宇宙で、「清掃会社」を起業しなければならない時期が来ているのではないでしょうか。

 星々が煌めく世界が、賑やかな satellite がぶつかり合いそうな大気圏に変わっていくのは、実に悲しいことです。ここ栃木県では、時々、茨城県沖を震源とする、『ドスン!』と身体で感じる地震が起きています。どうも強烈な地震が起こる前触れのように予測されていて、やはり地球が火の玉を内部に抱えて、さらには宙に浮いている不安定さが気になってしまいます。地震、雷、火事、戦争の二十一世紀、どうなっていくのでしょうか。

(シルクロード、鄭和、地球の様子です)

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