遊び

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 プロ野球の試合中に、球審が、若い投手を、威嚇するかの様な行動に出たことが、話題沸騰してやみません。思い出したのは、若き阪神のエースだった江夏が、自分の投球の判定に不服で、体当たりして球審をひっくり返して、退場への道を自分で颯爽と進んでベンチに消えた一件です。

 1973年6月12日、甲子園球場での対巨人戦で、王貞治が打者だった時でした。江夏、若干25才だったのです。これも色々と言われたのですが、若気の至りだったのでしょう。野球を愛した父や次兄は、自分でもやっていて、次兄は、東京都予選の〈ベスト16〉で、甲子園への夢を終えています。みんな野球が好きな人、する人、審判する人、球場整備する人、売り子さん、そして見る人なのです。

 観ていて楽しいですし、贔屓選手の活躍は、この歳になっても気になって仕方がありません。Professional の興業、広告などの収益で運営されていて、球団も選手も審判も球場の会社も、それで生活をしているのです。それで、細かなルールが決められていて、娯楽を提供する方も、それを受ける側も、熱くなったり、冷めたり、喜んだり、残念がったりして、楽しむわけです。

 『人間がしてることですから!』と、この一件が厳粛なことにならない様な目で、判断している方が多いのではないでしょうか。角を立てては、Sports が提供する熱狂する思いに水をかけてしまうことになってしまいます。サラリーマンが、試合の展開に一喜一憂して、勝っても負けても、さまざまに批評をしながら、明日への英気を養っている、年寄りも一喜一憂して楽しむ、これがプロ野球の一面です。

 そんなには重大で厳粛なことがなされていない世界なのです。活躍できなくなったりして、お好み焼き屋をしたり、レストランをやったりして、次の人生が、野球人には待っているわけです。それが全てではない、戦争をしているのではなく、Sports をしているのです。達川光男という捕手が、広島にいました。戯(おど)けたり、おおぎょうな手ぶり足ぶりを全身でしては、広島球場を沸かした選手でした。

 悔しさでヘルメットやグローブやバットを、グラウンドに叩きつける様なことをして、自分の感情を表す選手もいれば、貴公子然として静かにベンチに引き下がっていく選手もいます。球審も人ですから、ちょっぴり感情を表現してもいいのでしょう。詐欺をしたり、麻薬に手を出したり、黒社会と交際したりしても、罰を受け、ミソギがすんだら、きっちりと首(こうべ)をあげて、解説者になったり、穏やかに話している元選手たもと監督やコーチを見ると、ホッとします。罰だけでなく、「憐れみ」が大切かなと思うのです。

 ヨハン・ホイジンガ( Johan Huizinga )と言う、オランダの歴史家で、「ホモ・ルーデンス」と言う本を著して有名な方が、その副題に、《遊ぶ存在としての人間》と付けているのです。この人の言われた「遊び心」は、生きていく上で、緊張を解いて、「息抜き」をし、無目的であったり、それほどに重要でも厳粛でもないことに、思いを向けて、しばしの時を過ごすことが、サプリメントをあれやこれやと飲むよりも、健康に好いに違いありません。

 駅から東武鉄道の電車に乗って、南栗橋駅、押上、横浜で乗り換えますと、目の前に横浜球場の見える日本大通り駅に着きます。そうするとプロ野球を観戦できるのです。中華街によって、美味しい中華だって食べられますし、横港観光だってできます。後楽園だったら、もっと近いのです。

 もともと、元気を回復させて、心も体も元気にするのが、「遊び」だからです。テレビやラジオやyoutubeで、試合の動きを知ることだってできます。緊張の現代人には、そう言った「遊び」がぜひとも必要で、プロ野球は、それを提供してくれているのです。だから、「遊び」の中で、とんがったり、つっぱったり、厳粛にならないで、楽しんだらいいのです。

 それは人を朗らかにします。東日本大震災で、お父上をなくしても、健気に生きてきて、才能ある投手になっている佐々木朗希は、「明朗」、「希望」と、好い名を、お父上にもらったのです。『ごめんなさい!』で、なおの期待に応えて、このスポーツを面白く、楽しくして欲しいものです。

(「立川光男選手」のイラストです)

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