北海道

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 高校2年の修学旅行で訪ねてから、北海道は何度か訪ねています。日本人は、北に憧れがあったり、郷愁を覚えたりして、歌で歌われ、多くの映画の舞台として登場しています。そこは「逃避行」の行先に、いちばん似合う日本列島最北端の島です。

 青森から、青函連絡船で函館の港に着いた船旅も、函館のトラピスト修道院、五稜郭、函館山は、印象的でした。買って帰ってきた、トラピストのチーズ飴とバター飴が美味しかったのです。大きな温泉のある旅館に泊まって、夕食に出された、「いかそうめん」も、『こんなに美味しい物があるのか!』と感動的でした。

 まだ未舗装の道路をバスを4台連ねて、砂ぼこりを残しながら、洞爺湖、昭和新山、北辺原住民(アイヌ〈”人間“の意味だそうです〉)の村、層雲峡、摩周湖、オホーツク沿岸、根室湿原などを訪ねたのです。自分の国を知ると言った意味で、悠久の天然の歴史の中に、明治以降、刻まれた人の営みの後を訪ねたことに、意味があったと思います。毬藻(まりも)が、透明度の深い摩周湖にあって、その頃、この湖を歌った歌が歌われていて、印象的でした。

 その後、友人たちと一緒に、札幌を中心とした地域を訪問したことがありましたが、修学旅行当時とすっかり変わっていた北海道でした。その後、右肩の腱板を断裂してしまった私は、カナンの街で痛みに耐えながら、ネット検索をして、札幌にある整形外科医を見つけ出し、メールで連絡を取ったのです。2017年のことでした。
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 この担当医師は、懇切に説明し、治療法を示してくださったのです。それで、早速チケットを買って、華南の街の空港から、羽田、札幌と乗り継いで訪ねたのです、日に10人もの患者の腱板断裂の縫合手術を、お一人でする整形外科医院とは知りませんで、すぐには入院できなかったのだそうです。主治医で院長は、staff に相談して、〈中国から来た日本人の患者/病院関係者は私をそう呼んだでいたそうです〉の手術を二日後に決めてくださったのです。

 遠方から強引に来てしまった患者を拒めなかったのでしょう、その日の11人目、最終手術をしてくれたのです。4年が経過していますが、全く前と同じ状態に戻っていて、後遺症や不具合はありません。入院中のほとんどがリハビリでした。100名以上もいた理学作業療法士の中から、若い療法士が午前午後の2回、治療台の上の私の肩の筋肉の動きに、実に真剣に施術をしてくれました。 

 リハビリが一段落すると、別院に移って、リハビリが継続されるのですが、『あなたは私の近くにいていただいて、私が看守りながらリハビリを続けていきましょう!』と、特別扱いをしてくれたのです。所定のリハビリを終えて、退院したのです。まだ継続のリハビリが必要で、華南の街に戻って、市立第二医院(革命前はイギリス海軍に病院でした)に、リハビリ科があるのを、友人が見つけてくれて、そこに通いました。帰る時、術後に装具を一式預かって、医院への贈り物に持たせてくれました。

 6ヶ月が経って、術後半年の検診で、家内を伴って帰国し、札幌の病院を訪ねました。診察結果は経過良好でした。院長に感謝をしてから、バスに乗って函館を訪ねました。若い頃から、色々とご指導を仰いだ牧師がいて、訪ねたのです。あいにく東北の街の開拓教会に行かれていて、奥さまにお会いしただけでした。日曜日の礼拝を終えて、函館空港で、ジンギスカン鍋を食べて、羽田、成田経由で華南の街に戻ったのです。北大の campus の散策を家内は気に入っていました。
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 同級生が札幌にいたのですが、卒業後何度か手紙のやりとりがありましたが、以後は音信不通でした。懐かしくも会ってみたかったのですが、家内が一緒なのに、昔のガールフレンドを、探して訪ねることもできませんでした。淡い思い出いっぱいの新宿と札幌ですが、やはりやはり異国情緒があって気に入っています。

 入院中同じ病室で、仲良くなった病友が、有名なスキー場のニセコの近くの方で、『土地を安く分けてあげますから、越してきませんか!』と誘ってくれましたが、そのままです。次に、北海道に行く時には、オホーツク文化の拠点の網走の「モヨロ貝塚」を、ぜひ訪ねたいなと思っています。千島列島やアリューシャン列島、樺太からシベリヤに連なる、古代人の足跡を追ってみたいからであります。できるかな、の台風接近の金曜日です。

(オホーツク海、マリモ、札幌の手稲山を望むそれぞれの写真です)

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