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 『人間も動物なので!』と、ラジオのゲスト・コメンテーターが言っていました。そうでしょうか。私は、自分を〈動物〉扱いした父や母に育てられなかったのです。一個の人格として接してくれました。わがままや決まりを守らなかった時に、父の拳骨が降ってきましたが、和を乱すものを矯正し、教える方法ででした。それで、自分も他の人も、人格を持った、尊厳に値する人としてみて、今日まで生きてきました。

 最初の人が造られた時、創造者は、

「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて・・・神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった・・・」と仰られました。

 「非常によく」人はつくられているのです。英語ですと、” it was very good “ とあります。単に、良かったのではなく、[特別に]とか[非常に]配慮されて造られているのです。どの様に特別で非常によく造られたかと言いますと、次の様に聖書にあります。

 「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』」

 私たち人は、神に似せて,その《神のイメージ》に従って造られたのです。人には、知 性があり、感情があり、意志があります。それらを用いて、創造者を思い、人間同士の交流をし、より良いものに変えられて生きたいとの願いを持ちます。危機に迫った隣人を助け、落胆する者を慰めたり励ましたりします。泣く者と共に泣き、悲しむ者と共に泣くのです。そこに人格的な交流があるからです。

 私は、天地万物の創造者、統治者を信じる、信仰者の母に育てられました。人格的に辱められる様なことは一度もありませんでした。養育の責任を、その神から受けて育ててくれたのです。人として、男として生きて行く道を教えてくれました。義を愛し、隣人を愛し、弱者を助け、落胆している人を励ます様に教えられました。

 先週、隣人の飼い犬が、老衰で亡くなりました。家内が散歩で会って、家内になついていた犬だったのです。飼い主のご婦人が外科手術で入院中に亡くなってしまい、その悲しみはとても大きかった様です。家内は、悲しむご婦人の悲しみに連れ沿って、その日、2時間ほど共にいてあげたのです。動物の命と、人の命は違います。家内の母親は、私たちが滞華中に亡くなりました。その死別の悲しみは非常に大きかったのです。親子の深い人格的な関わりがあったからです。

 人の命が、どれほど尊いのかと言いますと、神から付与されているからです。人の狡猾さを見て、つまずいた若かった私に、「鼻で息をする人間を頼りにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。」と母に教えられました。〈人間不信〉を教えたのではなく、人には限界があるとの〈人の真実〉を教えてくれたのです。《頼り》にできるのは、神以外にいないからです。そして、喜ぶ者と共に喜んでいたいものです。

 
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