感性

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 私たちの「感性」を育ててくれたものに、小学校の音楽の授業で歌った、「唱歌」があります。まだ演歌やジャズを聞いたり歌ったりする前に、情操教育として、教室で、みんなで輪唱したり、独唱させられたりしました。

 教室の板張りの床の上に立って、恥ずかしがらないで、大きな口を開けて、歌った日々が、懐かしく思い出されてきます。「四季」の動きがはっきりしていたからでしょうか、季節季節に、様々に計画された学校行事が行われ、季節に見合った歌を歌い、やはり私たちが受けた日本の初等教育は、優れていたのだと思います。

春のおがわは さらさら いくよ
岸のすみれや れんげのは花
すがたやさく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
(高野辰之作詞、岡野貞一作曲 「春の小川」)

 この歌を歌うと、「遠足」に出かけたのが思い出されます。「谷津遊園地」や「武蔵野風土館」などに、お弁当とお茶を入れた水筒をリュックの中に入れて、先生の引率で金魚のフンの様に歩いたのが記憶に鮮やかです。

われは海の子 白波の
さわぐいそべの 松原に
煙たなびく とまやこそ
わが懐かしき すみかなれ
(作詞者、作曲者は不詳「われは海の子」)

 海に、水泳に行ったのは中学になってからですが、海の景色は、四方を海に囲まれた海洋国家の私たちの国では、どこにでも見られるものでした。海なし県の北関東にいながらも、磯の匂いがして来たり、潮騒(しおさい)が聞こえたり、水平線などが目に浮かんできます。
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秋の夕日に照る山もみじ
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの裾模樣(すそもよう)
(高野辰之作詞、岡野貞一作曲 「もみじ」)

 秋には、「運動会」がありました。母が、昼前に弁当を作ってきてくれて、一緒にゴザの上で食べたことがありました。病欠の多い児童でしたから、参加できない学年も何年かありました。四人の子どもたちとも、海苔巻きや、みかんや、栗などを思いっきり食べた日々があったのです。そう遠足も文化祭もありました。

さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家
(作詞者、作曲者不詳 「冬景色」)

 冬は、活発な活動はなかったのですが、校庭でのラジオ体操が懐かしくなって来ます。終業式や卒業時期の準備や、梅が咲いて、春の到来を待ち望んだ様な覚えがあります。炬燵(こたつ)で、正月のお雑煮やおせち料理、節分の豆を食べたのが懐かしいのです。雪の降らない、この街に二年ほど住んで、雪景色の見られなかった十三年の華南とは違って、北風や霜柱も結氷もあります。

 ここ北関東では、もう11月も中旬ですから、晩秋から初冬の寒さもありながら、時々、日中の日差しの射す陽だまりが心地よく感じます。眼下に流れる巴波川の水が、冷たそうな色を見せて、鴨や白鷺が寒くないかと気なってしまうこの頃です。

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