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 「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」

 男兄弟四人でしたので、姉や妹が欲しかったのです。子どもの頃に聞いた、「人生の並木道(作詞が佐藤惣之助、作曲が古賀政男、歌がディック・ミネ)」の歌詞の中に、「妹」が出てきて、『妹があったらいいなあ!』と憧れながら口ずさんでいました。

1 泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い 二人して
故郷を捨てた 甲斐がない

2 遠い淋しい 日暮れの路で
泣いて叱った 兄さんの
涙の声を 忘れたか

3 雪も降れ降れ 夜路の果ても
やがて輝く あけぼのに
我が世の春は きっと来る

4 生きて行こうよ 希望に燃えて
愛の口笛 高らかに
この人生の並木道

 これは、とても人気のあった1937年(昭和12)の映画、「検事とその妹」の主題歌でした。あらすじは、「幼くして父母を失い、妹と2人で生きてきた矢島健作は念願の検事になることができた。妹の明子も柴野秀雄という男性との結婚が決まり、順風満帆の人生かに見えた。しかし、ある事件をきっかけに健作は柴野秀雄を検挙することになる・・・」というものでした。

 喧嘩、早飯、おかずの取り合い、先駆けなど、父を加えた五人の「むつけき」男ばかりの世帯で、母はどう思いながらも、みんなの食事の支度や後片付けから洗濯、掃除、買い物、繕い物と、一日を一週を、一月を一年を過ごしていたのでしょうか。住んでいたのは小さな家で、すれ違えば肩がぶつかりそうでした。うるさくて乱雑だった家が、学校から帰ると、綺麗になっていましたし、食事も美味しかったのです。

 父には、母違いの弟と三人の妹がいたのですが、母は、一人っ子、養父母に育てられた人でした。大人になって、奈良に、父違いの妹がいて、『お姉さん!』と呼んでくれる妹を得たのです。母の元気な間は交流があった様です。母には、私たちの父は兄の様で、四人の息子は弟の様だったのでしょうか。溺愛はしてくれませんでしたが、悪戯小僧たちは目に入れても痛くなかったのでしょう、情愛深く育ててくれたのです。

 ところが、私に念願の「妹」ができたのです。弟が結婚してから、彼の愛妻が、何と『お兄さま!』と呼んでくれたのです。こんなに響きの好い、聞き心地の好い語り掛けは初めてのことでした。何度も聞きたかったのですが、聞くたびに、夢心地にさせてくれたのです。その義妹は、病気を得て、天のふるさとにすでに帰ってしまいましたが、あの呼び掛けの声は、まだ耳に残っています。

 親子、兄弟姉妹、祖父母と孫、この家族の舞台というのは、癒されたり、励まし合ったり、いたわり合ったりして、互いに思いを向け合っている世界ですね。様々なものが入り込もうとしているから、ここを死守しないといけません。持ち物はわずかでもいいのです。理想的な家庭を形作り、家族を愛することができるのです。そこは物ではなく、心で築き上げたいものです。

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