100秒

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ブラジルに農業移民をした、私の家内の長兄は、入植後、同時期に働き始めた仲間の自死、その埋葬を痛烈な悲しみの中で体験します。挫折から立ち上がり、自営を目指したのです。ある時、出会った方に「時計修理」の技術を教えてもらい、サンパウロから1時間ほどの街のマーケットの片隅で、時計修理業の店を始めたのです。

開拓地から、馬に乗って持ってくる時計の修理をしながら、勤勉に働いて、事業を大きく拡張していき、まあまあの成功をおさめた様です。土地を買って家を建て、子育てをし、夫人の家族を呼び寄せたそうです。私は、ブエノスアイレスの大会に参加した帰りに、義兄を、この家に訪ねたことがありました。間口の狭い店でしたが、流行っていました。その義兄の店の名が、「ビッグ・ベン」だったのです。ロンドンのウエストミンスター宮殿の時計台が、そう呼ばれていて、その名を、義兄は借用したのです。

我が家にも、昨秋買った壁時計が、振り子を振り続けて、時を刻んでいますが、世界には、特異な名の付いた時計があります。それが、〈世界終末時計〉と呼ばれるものです。「ニコニコ大百科」に、次の様にあります。

『世界終末時計(Doomsday clock)とは、核兵器や戦争、環境破壊などを原因とする人類の「終末」が発生する時刻を午前零時とし、それまでの「残り時間」を象徴的、仮想的に表した時計である。・・・地球になぞらえた(あるいは単に無地の)文字盤をした時計。

ただし、実際に動き続ける時計ではなく、45分から0時までの部分を切り出した、もしくはその部分だけが描かれた絵として表される。誕生は米ソ冷戦時代であり、日本への原子爆弾投下から2年後の1947年。アメリカの科学誌『原子力科学者会報』(原題は『Bulletin of the Atomic Scientists』)の表紙絵として描かれている。

また、アメリカイリノイ州のシカゴ大学には世界終末時計のオブジェが存在する。その後も同誌は定期的に委員会を設けて時刻の修正を行っており、創設以来起こった様々な出来事を元に22回の修正がなされている。1989年からは核の脅威だけでなく、環境破壊などの脅威も針の動きを決定する要因となった。実際2012年には、福島第一原子力発電所事故などを理由に1分間進んでいる。』とです。

2020年現在、世界の終末まで、〈100秒〉になったと、先日発表されました。BAS(原子力科学者会報)の委員会のジェリー・ブラウン元カリフォルニア州知事は、『超大国間の危険な対抗や敵意が、核をめぐる大失態を犯す可能性を高めている。気候変動はこの危機的状況を悪化させている。目を覚ますべき時があるのだとすれば、それは今だ!』と述べています。

私の愛読書には、『民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり・・・大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。』とあります。大変な時代の只中に、今はあるのかも知れません。絶望だけではなく、逃れる道が残されているとしたら、そこにも将来と希望が見出されることでしょう。〈100秒〉を厳粛に覚えつつ、今日を、今週を、今月を、望みをもって生きていきたいものです。今日は、二十四節気の「立春」、このところの陽の光は、もう春の様です。

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