循環する人格的感化

 

 

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、『精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のものは、かつて達せられたことのない段階にまで登り詰めたと自惚れている。』という言葉を残しています。随分辛辣(しんらつ)なことを言う方です。ドイツ人気質の学者だからでしょうか。

この「精神のない専門人」と言うのは、利潤を求めようとする時、『不正なことをしない!』と言う<倫理観>を持たない経営者のことを言っています。儲けるためには手段を選ばないで、営利主義に走る経営者が多いのかも知れません。鉄面皮の様に、優しさとか、『みんな益ために!』と言った気持ちに欠けている経営者のことです。アルバイトをしていた時に、そんな経営者がいました。

そして「心情のない享楽人」とは、「天職」としての自分の仕事を、精一杯励んでしようとする気概を持たない労働者のことです。ヴェーバーは、人の仕事を「天職」、つまり天が備え、与えたものという理解を持った人でした。勤勉に働くのは、自分に課せられた「仕事」の意味や価値や使命を知っているからなのだと言うのです。アルバイトをし、社会人として働いた職場にも、自分の仕事への不満を持って、楽しく溌剌と働かない人が、結構いました。

勤勉に働くことが、仕事を成功させ、そうすると評価が高なり、給料が増えると言う好循環があります。それが会社を富ませ、さらに業績をあげさせ、優良企業となって行きます。何時でしたか、あるホテルでセミナーが開かれていた時、そこの従業員のみなさんが、高い意識を持って、楽しそうに働いていたのです。誰もが、そう感じていたのです。

それで、『どうしてですか?』と聞きましたら、『待遇が好いからです!』と言っていました。好い仕事を生み出し、企業を富ませるのは、そんな単純な原理なのでしょう。経営者だけが豊かにならないで、利益を従業員に分配することが、高い企業評価に繋がります。自分の仕事を正しく評価されると、好いサーヴィスを生み、好い製品を製造させるのです。

また、マックス・ヴェーバーは、政治家にとっての特に重要な素質として「情熱」、「責任感」、「判断力」の三つを挙げています。国や自治体の代表として、それを好くしようとする政策を提案していく「情熱」を持つことが、政治家には必要です。正しく「判断」し、「責任感」を持つことも必要です。そう言った指導者がいる国や自治体の住民は、安心して生活ができるのでしょう。それで、国や自治体や市民が安定していくわけです。

とどのつまり、人も組織も《自惚れないこと》、《怠けないこと》、《享楽に溺れないこと》です。「小国主義」を掲げたジャーナリストで、後に政治家となった石橋湛山は、素晴らしい政治家だったのではないでしょうか。実に短期間でしたが、内閣総理大臣をされた湛山は、甲府一中の中学生の頃に、大島正健校長の薫陶を受けたことが、彼の人となり、政治家の姿勢を作り上げた、と後になって語っています。

その大島正健は、17歳の時に出会い、人格的影響を与えられたのは札幌農学校で出会ったウイリアム・クラークでした。一年にも満たない、ほんの短い間の人格的薫陶だったのです。その青年期の一人の人との出会いと薫陶とは、この人の一生を貫いています。これを《循環する人格的感化》と言うのでしょうか。

(石橋湛山が、母校の後輩に書き残した書です)

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