今朝、ベランダの寒暖計は、7時半で、18℃でした。同じベランダで、また二輪の朝顔が咲き、秋の花ではないのですが、私たちに目と心を楽しませてくれます。お母さんを呼ぶ小学生の声が、響いています。家内が”ベランダ会議“をする隣家のおばあちゃんが、風邪をひいた様で、顔を見せていないそうです。先ほど娘さんに、家内が声をかけていました。
今日は、弟の誕生日で、今朝2時頃、目が覚めて、「誕生祝い」のメッセージを送信しました。上の兄2人は、島根県で生まれたのですが、弟と私は、軍需工場の責任を任された若い父の赴任地、中部山岳の山の中で生まれました。熊や鹿の出る様なあたりでした。40年以上前に、兄弟4人で訪ねたて以来、訪ねていません。いつかまた、生まれ故郷を訪ねて見たいものです。
あの「故郷」の歌の意味が、“ウイキペディア”に次の様にありました。
1 野兎を追ったあの山や、小鮒を釣ったあの川よ。今なお夢に思い、心巡る忘れられない故郷よ。
2 父や母はどうしておいでだろうか(「います」は「居る」の丁寧形ではなく、古語の尊敬語「坐す」なので、「ゐます」とはしない)、友人たちは変わりなく平穏に暮らしているだろうか。風雨(艱難辛苦の比喩とも)のたびに、思い出す故郷よ。
3 自分の夢を叶えて目標を成就させたら、いつの日にか故郷へ帰ろう。山青く水清らかな故郷へ
この年になると、父も母もいませんし、幼い日の 友の消息は分かりません。でも思い出だけは、鮮明に残っています。これが「故郷」なのでしょう。
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