接点

 

 

去年、北海道の病院に入院中、道内を転勤して働いてきた、私より少し若い方、と言っても,すでに退職されていましたが、彼と同じ病室でした。お仕事の細かなことを聞きませんでしたが、道内の遺跡について詳しく、埼玉県にある遺跡まで訪ねたりしておられました。

この方が、「オホーツク文化」の存在を、実に情熱的に知らせてくれたのです。若い頃の僅かな教員経験しかない私には、新しい情報の提供でした。網走に、その遺跡があり、道内のあちこちに遺跡があると言っていました。興味を引いたのは、「黒龍江(ロシアではアムール川と呼ばれています)」周辺に起源があって、そう言った大陸との繋がりの文化だったことです。

それまで、「南蛮貿易」などの《南方志向》だった私が、北に思いを向けることができたのは大きな変化でした。高二の修学旅行で、初めてオホーツク海を眺めた時の印象は、実に強烈だったのですが、その印象を呼び起こしてくれたのが、この方との出会いでした。

小学生の頃、旧友から、川の近くの小高い丘に、「貝塚」があると聞いて、そこに行ってみました。眠っていたものを呼び起こされた様でした。土を掘り起こしたら、鏃(やじり)や土器の破片を見つけられたのです。古代の人の生活と、昭和を生きる私との接点を見つけた感動は、実に大きかったのです。中学に入ると、高等部の考古学部の発掘調査に、担任が誘ってくださって、何度も、あちらこちらと出掛けては、手伝いをしたのです。

そんなで、「考古学」を学びたかったのですが、いつの間にか、その情熱がしぼんでしまって、時が過ぎたのです。それが、この「オホーツク文化」について、熱く語る方と出会って、興味が、心に再燃したわけで、《ヤケボックリに火がついた》様です。奥様から和菓子を頂いたりで、おじいさんのこれからの趣味には、ちょっと面白いかも知れません。いつか網走の「モヨロ貝塚(遺跡)」や紋別や北見の遺跡を訪ねたい気持ちが溢れています。

森繁久彌が、「オホーツクの舟唄」を作詞しています。

知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちの事を
飲んで騒いで 丘にのぼれば
はるかクナシリに 白夜は明ける

旅の情けか 酔うほどにさまよい
浜に出てみれば 月は照る波の上
今宵こそ君を 抱きしめんと
岩影に寄れば ピリカが笑う

別れの日は来た 知床の村にも
君は出てゆく 峠をこえて
忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
私を泣かすな 白いカモメよ
白いカモメよ

「朔北(さくほく)の地/辺境の北方をそう言う様です)」、稚内から海を渡って「アムール川」に、古代人の足跡を追ってみたいのです。日ロ関係が改善されてたら、いつか実現できるかも知れません。私は、この人たちの子孫になる可能性だって、ないとは言えません。だからこんな関心と感動があるのかも知れません。うわー、そこに接点がありそうです。

(モヨロ貝塚で出土したものです)

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