昭和、父や母や兄弟たちと

、. 

.

     武島羽衣の作詞、田中穂積に作曲の「美しき天然」は、子どもの頃に、耳に馴染んだ一曲でした。武島羽衣の夫人はクリスチャンで、その影響を受けたのでしょうか、自然界にかんじられる天然の「神の御手」、「神のたくみ」、「神の力」、「神の御業」と、歌い込んでいるのです。

1 空にさえずる 鳥の声
峯より落つる 滝の音
大波小波 鞺鞳(とうとう)と
響き絶えせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
此(こ)の天然の 音楽を
調べ自在に 弾き給(たも)う
神の御手(おんて)の 尊しや

2 春は桜の あや衣(ごろも)
秋は紅葉の 唐錦(からにしき)
夏は涼しき 月の絹
冬は真白き 雪の布
見よや人々 美しき
この天然の 織物を
手際(てぎわ)見事(みごと)に 織りたもう
神のたくみの 尊しや

3 うす墨ひける 四方(よも)の山
くれない匂う 横がすみ
海辺はるかに うち続く
青松白砂(せいしょうはくさ)の 美しさ
見よや人々 たぐいなき
この天然の うつしえを
筆も及ばず かきたもう
神の力の 尊しや

4 朝(あした)に起る 雲の殿
夕べにかかる 虹の橋
晴れたる空を 見渡せば
青天井に 似たるかな
仰げ人々 珍らしき
此の天然の 建築を
かく広大に たてたもう
神の御業(みわざ)の 尊し

 「ジンタ」と呼ばれた、市井(しせい)の音楽隊がありました。鐘や太鼓やクラリネット(トランぺットやサキソフォンもあったでしょうか)や三味線などを演奏しながら、派手な色の和装の装いと化粧で、賑やかに街中の道を練り歩くので、「チンドン屋」と呼ばれ、子どもたちは後にくっついて歩いたのです。その時の演奏曲目が、この「美しき天然」でした。歌詞は後から知って、曲だけが耳に残っています。

 「鳴り物入り」の小音楽隊が、開店やお祝い事を知らせるチラシ、ビラを配りながらの賑やかに、晴れやかに動き回る広告塔だったのです。テレビもインターネットもない時代、日本中の街中で活動していたのです。

 また、ヨウヨウ釣り、わた飴、鼈甲飴(べっこうあめ)、たい焼き、イカ焼きなどがおいしかったのです。住んでいた街の神社の祭礼の日の沿道に、たくさんの屋台や簡易店が出て、暗くなると、カーバイトのガスを燃やして灯す仄暗(ほのぐら)さの中に、なんとも言えないガスの臭いが立ち込めていました。幼い日のザワザワした原風景とでも言えるでしょうか。

 さらに、紙芝居のおじさんが、夕方になるとやって来て、五円や十円を握り締め、木箱から水飴、おじさんの汚れた親指の爪で半分に切った梅ビショ付きふ煎餅、型抜き飴などを買って、食べながら冒険活劇の紙芝居を見たのです。貸本屋も街中にあったり、「冒険王」、「小学◯年生」、「赤胴鈴之助」、「木刀くん」などという少年雑誌も、酒屋や電気屋の家の友だちが買うとと、遊びに行って読ませてもらったのです。

 そういった昭和期の文化的な背景の中で、それらを全身で吸収しながら大きくなったのを感じずにはいられません。目をつむると、

♯ 幼い頃から、今日までの数えきれない夢がある、ユーメがある ♭

という歌の一節が口から突いて出てきます。夢ばかりではなく、思い出になった出来事が溢れているのです。父の肩車、抱きすくめられ、ホッペホッペよの頬や顎の髭の剃り跡の感触が思い出させられます。兄弟で山奥の家からサーカース見物に連れ出してくれたテントの中にも、そのジンタが流れていました。あの賑わいは湧いて溢れるほどでした。

.

DSC_0075

.

 兄弟の中から一人連れ出されて観劇し、帰り道で食べさせてもらったかき氷、葡萄、桃などが美味しかった思い出があります。渋谷だったかにあった高級レストランで、ロシア料理の仔牛の肉のシチュウと黒パンを食べさせてもらって、こんなに美味いものがあるかと思わされ、おふくろのあじにまさるおさらに、頬が落ちそうになったでした。

 ケーキや鰻やドライアイス入りで満員電車で持ち帰ってくれたソフトクリーム、薄皮まんじゅう、餡蜜、笹子名物の笹子餅、崎陽軒のシュウマイなど、セッセと持ち帰っては、『喰え!』と嬉しそうに言っては、四人を眺めていた父の顔を思い出します。

 母手作りの、肉屋で牛をひいてもらったミンチで、みじん切りしたタマネギやニンジンで焼いてくれたハンバーグ、揚げてくれた豚カツ、中華麺を油であげて切り身の豚肉やエビや白菜やニンジンなどで片栗粉でとろみの効いた餡かけをかけた堅焼きそば、出雲の宍道湖のシジミで育った母が作ってくれたシジミの味噌汁。父の手作りの、火鉢でお玉に入れたザラメの砂糖を煮溶かし重曹で膨らませてくれたカルメ焼き、正月用の餅の端切れを細かく切って乾燥させて保存して油で揚げてくれた揚げ餅、胃袋で感じた二親の愛の数々です。

♭ ああだれにも故郷が、ふるさとがあ〜る ♯

 微熱や咳で学校に行けないない日々、兄弟たちは学校に行き、自分だけで母親を独占できたのです。まったく甘やかしてくれました。『準ちゃんが女の子だったらよかったのに!』と言ってくれたことがあったのです。

母が体調不良になると、よく助けたからです。脚がスラッとしているとかで、肺炎に再発で死ぬことを恐れた母が、バカ息子をほめてくれたり、なだめすかしてくれました。すっかりマザコンが出来上がったのでしょうか。

 何よりも、その母の信仰を、父も四人の子も継承できて、同じキリスト信仰を持つことができたことは特筆すべき一家の祝福なのです。男5人を相手に格闘した、母の年月だったに違いありません。自分にために何度学校に呼び出された母だったことでしょうか。胃袋だけではなく、家族の一人一人の心の深みにまで母の存在は、実に大きく及んだのです。

 人を恨んだり悪口を言うのを聞いたことがありません。聖書を読み、讃美歌を歌い、日曜日の礼拝を守り、週日のや聖研や祈り会にも集い、宣教師さんに感謝を表し、隣人にイエスさまの救いを伝え、献金をしていたのです。子どもの日に出会った父である神さまと、その御子のキリストなるイエスさまに、召されるまで忠実さを示した母でした。「◯町小町の色黒のお転婆」だったと、母の従姉妹に聞きました。そんな母、父、兄たち、弟に感謝している自分です。

(この天然、大自然の美です)

.