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男の子4人の胃袋を満たすために、父は東京に、働き蟻の様に通勤して稼いで帰り、母は、そのお金で買い物をし、料理して、ちゃぶ台の上に並べてくれました。そんな場面が、秋になったからでしょうか、思い出されてきます。お腹いっぱい食べさせてくれた両親が、満足そうだったのです。あそこは家庭でありながら、訓練場だったり、合戦場だったりで、6人全員で過ごした日は、短いものでしたが、濃密な接触がありました。
結婚して、私も4人の子の父とされ、家内は母親として、彼らの必要を満たして、大忙しで、巣立っていくまで家事の切り盛りをしてくれました。一日も食べられない日はありませんでした。贅沢はできませんでしたが、みんな人並みに育ったでしょうか。笑いも怒声も涙もケンカも、盛り沢山な家で、いつも誰かが一緒に暮らしていた家でした。それも短い日々だったのです。
北関東の巴波川のほとりのアパートの4階の家は、二人っきりですが、FaceTime や family chat の電波映像や短信文で、娘たちがやってきて、一昨日も賑やかでした。婿や孫が加わって、家内は楽しそうにしていました。息子たちは、違った方法で気遣ってくれています。人生の舞台は、思いがけずも変わるのですが、思い出は変わらずにあります。
あんな人、こんな人がいたことを思い出しています。やっぱり人恋しく思い出される季節がやってきた様です。これで、秋刀魚の煙が立ち込めてきたら、time slip してしまいそうです。幸いなことに、家内と私には、《中国版》の出会いや交わりや別れがあるのです。終わっていないで、時々いろいろな様子が継続されて知らされてきます。
子どもたちが、大学や高校に進学したり、卒業して就職したと言ってきます。お母さんにベッタリだったし、手こずらせていた男の子が、この秋に大学生になるそうで、喜びの知らせです。病んで闘病の知らせもあります。
わが孫たちも、大学進学、高校進学の季節を間近に開いています。26歳まで親元にいた私は、兄弟の中で一番長く、両親と過ごしたのですが、アメリカの社会の巣立ちは、〈 eighteen 〉なのです。考えてみますと、〈 fifteenth 〉でハワイの高校にいったのです。ずいぶん早い旅立ちでした。4人がみんな巣立って何年も経っている今、二度と帰らない日々が、懐かしさばかりで思い出されます。
(“オークフリー”の「ちゃぶ台」です)
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