感謝

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 わが家のお昼ご飯の定番は、家内の要望で、だいたい「うどん」です。長葱、にんじん、玉葱、小松菜などの青菜、それにクコ(枸杞gǒu qǐ/乾燥した実)とナツメ(大枣dà zǎo/乾燥した実)と牛肉と鰹節とで、薄醤油で煮込んだ物です。それしかできないので、BAKAの一つ覚えで作るのです。華南の街の友人から、『身体に好いので料理に使ってください!』と言われて、欠かさずに使いつづけているのが、中国漢方の定番のクコとナツメなのです。

 今年の一月、華南の街で、とても好い交わりをさせていただいた、私たちと同世代のご夫妻が、家内を見舞ってくれました。五日ほど滞在されて、旧交を温めたのです。このご夫妻が、闘病中の家内の健康回復のために、たくさんの中国食材をお土産に持ってきてくださり、その中に、このクコとナツメがあり、まだ食べ続けています。

 この様に、中国で親しくなったみなさんの愛の深さは、半端ではないのです。友人と言うよりも「家族」の接し方をしてくださるのです。彼らがよく言われるのが、「一家人yī jiā rén」です。病気で入院して経済的に困っていると、互いに入院や治療費を融通して、みなさんは助け合うのです。今の裕福で、今困窮している友や親っp族や家族を援助し、ある日困窮すると、その人が助けると言った互助のあり方が、よく見られました。困難を共有して、みなさんは生きるのです。

 外国人で、かつての戦争中の加害者の子孫の私たちは、敵愾心に燃えて接せられて当然だと、覚悟して中国での生活を始めました。ところが東北部でも華南でも、中国で親しくしていただいたみなさんは、私たちに暖かく接してくれたのです。過去は過去、過去の経緯など無関係に、家族の様にして手を差し伸べてくださって、助けていただいた、在華十三年でした。帰国しても、大きな犠牲を払って、何組もの友人たちが、家内を見舞ってくれて、今日の家内があります。
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 それは、物のやり取りだけではなく、心の交流なのです。七日間家内が、省立医院に入院した去年の正月にも、7年ほど前に、市立第二医院に入院した時も、家内の病室での身の回りの世話のために、みなさんが三交代で付き添ってくれたのです。大学や小学校の先生、検察庁の検事、会社経営者などのみなさんが、夜通しでお世話くださった愛と犠牲とがあって、今日の家内の回復があります。

 今週、25回目の化学治療を、独協大学病院で終えました。入院中、4階の病室前で、医師が、『百合さんは、今晩が峠だから、注意して看護して!』と、看護士さんに小声で語る声を、家内は聞いてしまったのだそうです。ところが彼女は茫然自失したのではなく、言い知れない平安があったと言っています。〈死の受容〉の覚悟の中に、その平安があって今日まで続いています。

 先日、日記を読み返していた家内が、一昨年の春以降、体調が優れなかったのだと話してくれました。それに気付いて上げて、初期の対応ができたら、そんなに苦しまなくてもよかったのではと、私の不徳の致すことだったのではないかと、自分を責めてしまいました。家内の異常に気付いてくれたのが、私の講演の通訳をしてくださっていた師範大の先生と、家内を母の様に慕ってくれていたご婦人でした。この二人に、省立医院に担ぎ込まれて入院できたのです。

 7日の入院を終えて、日本での治療を、至急帰国して受ける様に、主治医に強く勧めらて、即刻搭乗券の手配を頼んだのです。慌ただしく退院して、その足で空港に行き搭乗手続きを始めましたら、空港の医師が、この体調では搭乗できないと、許可をしてくれなかったのです。1月8日、家に帰って、翌朝もう一度、空港に出かけ、再度医師の診察を受けました。別の医師の診察は、色々と友人たちが手配してくれたからでしょうか、搭乗許可が出て、その日の便で帰国ができたのです。もう1日遅れて病状が悪化し、発熱があったら、帰国できないギリギリの帰国でした。

 帰国後の生活について、友人が家をお貸しくださると言うことで、そのご好意で、そこに落ち着くことができたのです。それから始まった入院治療が、ほぼ2年になろうとしています。点滴薬が効いたのと、多くの友人、兄弟姉妹、4人の子どもたち、みなさんの愛が効いたのか、家内は回復途上にあります。

 昨日は、とてもお世話になった家具屋さんを、家内と一緒に歩いて訪ねました。昨年、台風19号で罹災したお店の改装がなって、開店準備中の激励のためでした。この店の社長さんのご好意で、高根沢におられる、彼の友人の事務所に、被災後に避難させていただいたのです。

 家内の退院後、洪水に被災したり、室の水道栓の漏れなど、いろいろとありましたが、色々と思い出して、感謝しながら、この2年あまりのことを、「自家製牛肉麺」の書き出しで、記してみました。また昔ながらの友人たち今では帰国しておいでの華南の街で出会った家内の友人のみなさん、遠くから支えて下さったみなさんに、その愛への感謝の思いで、家内も私も、心がいっぱいです。ありがとうございました。

(街を見下ろす森林公園の竹林の一部、長く住んだ家のベランダに咲いていたバラです)

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