㊗️おめでとう?

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 2018年5月25日の「水餃子」と言うブログ記事で、一人の華南の街の高校に在学している高校生のことを記しました。

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 【前略】 この街(華南在住時の街)に、こちらの方と結婚されて、高校生のお子さんを育てておられる、日本の中国地方の出身のご婦人がいて、時々、家内と交流があります。最近は、私も誘われて、一緒に食事をしたり、喫茶店に行ったりしているのです。この方に、家内が声をかけたら、(家内の妹と私も)ご一緒できるとの事でした。

 すぐにこの方から、折り返しの電話があって、もう一人のご婦人もお誘いしたいとの事で、都合5人で街中の「てんてん」という店の前で落ち合うことにしたのです。そこで、<餃子>を三種類、<涼皮>という山西の特産料理を二種類、砕いた胡瓜とニンニクを刻んだ和え物、トマトと卵のスープで、食事を摂ったのです。

 娘たちと同世代の、子育て中のお二人で、このお二人にしてみたら、ご両親の世代の義妹と私たちとの食事会でした。私たちに合わせて下さって、楽しい時を過ごしたのです。間もなく、息子さんたちの進学を決めなくてはならない時期で、家内は、昨年、札幌に行った時に訪ねた<北海道大学>のパンフレットなどを、参考のためにと差し上げていました。

 こちらの大学か、帰国子女枠で日本の大学かを、決めなければならないそうです。我が家の四人の子たちは、親に負担をかけない様にと、一番安く学べる学校を選んでくれました。郡立の"コミニティーカレッジ"で、二年学んで、その後に、州立の四年制大学に編入したりしていました。長女は、東京で昼間働いて、夜間の短大で学び、そこを卒業すると、上の兄が学んだ同じ州立大に編入したのです。四人とも、結構逞しかったと思います。

 この方の高校生のお子さんは、昨年怪我をして手術をし、リハビリ中の私に、自分のための"成長滋養剤"の「肝油ドロップ」の大缶をくださって、『早く治ってください!』と激励してくれたのです。それは、とても嬉しいことでした。彼が、能力に見合った大学に進学して、人生の基礎を、確りと固めて、卒業後は、社会の中で、その責務を果たしていかれるように、私と家内が願っている若者なのです。

 暑い日でしたが、まだ日陰に入ると涼しい時期で、最寄りのバス停で、家の近くを通る路線バスを待ちながら、道行く、小学生や付き添いのお爺さんやお婆さんの様子を眺めていました。午後のために、集団で登校する一段も幾組もありました。ご一緒したお母さんたちとご主人、息子さん、近くに住む義父母の健康を願っていました。娘たちも同じ様に、国際結婚をしていて、まあいろいろな事があることでしょうね。幸せを願って。

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 この高校生のお母様から、今日メールがありました。念願の日本(東京)の大学に合格したとの喜ばしい知らせでした。入学金や授業料のために、働いて備えをしようと、東京に居を移して、働いて来ていたお母さんなのです。まさに、《母は強し》です。

 家内が、省立医院に入院した、昨年の正月の一週間の間、毎日の様に病室に来てくださって、家内の病状説明の折には、ご主人もおいでくださったりで、家内のお世話をしてくださったのです。家内が寝てしまうと、椅子に座って、ご子息の受験の学びのための教材作りをされておいででした。

 来春には入学です。本当に、我が子の合格の様に嬉しい夕です。コロナ禍の中、思う様に、何事も進みませんが、愛する《肝油ドロップ青年》の今後が、「万事順利」である様に、心から願っております。

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郷愁

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 省立の師範大学の教員住宅に住んでいた時、一階でしたので、裏に手狭な庭がついていました。住み始めた今頃の時期に、懐かしい香りがしてきたのです。しばらくの間、気がつかなかたのですが、庭の出口の三和土(たたき)の隅に、金木犀の木が植えられていて、そこに咲いた花からの香りでした。

 週初めの日、6歳の女の子のお母さんで、家内や私に、娘の様に接してくださるご婦人がいて、時々、引き籠りの私たちを連れ出してくれて、鳥居氏の居城であった、「壬生城」の城址公園に連れて行ってくださったのです。平城で、実に綺麗に整備がされていました。

 お堀の橋を渡って、その城内に入った時、あの金木犀の花の香がしてきたのです。それで、華南の街で住んだ家を思い出したのです。その家に、日本人留学生、日本語教師、家内や私が、教えていた大学や語学学校の中国人の学生のみなさんが遊びに来られて、実に賑やかでした。
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 日本からたくさん持ち帰ったカレールウで、ライス・カレーを作って、ご馳走してあげました。みなさんに好評で、ちょっと名物になりつつありました。その家からバス通りに出ると、師範大学の裏手に、「卤面lumian」と言われる、華南風煮込みうどんの店があって、よく、そこでお昼をしました。小さな牡蠣、豚肉、野菜、アサリ、麺で出来ていて、庶民の味でした。
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 その店は、同窓の日本語教師が、紹介してくれたのです。この方は、高校の英語教師をしていたのですが、それをやめて、その街の師範大学の教師をされていました。省の主催のレセプションに招かれて、食事会が持たれた時、この方も来ていて、同世代で、同業のよしみで話をしていて、何かお互いに感じたことがあって、出身校の話が出て、同窓だと分かったのです。

 「学風」を引き摺るのか、そう言った学風に惹きつけられるのか、何か似たものを互いに感じ合ったわけです。それで、食事に招いたりしていたのです。私たちが、移動時に三輪タクシーに乗っていると話をしたら、彼が、『大変危険だからやめられたほうがいいです!』と言って、猛反対をされたのです。
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 「輪タク」は、電動と人力の二種類があって、メーターがないので、乗る時に交渉して、行き先によって料金が決まるわけです。『便宜一点儿吧pianyidianerba!』と言って、『ちょっとまけてよ!』と言うのです。その交渉が、物を買う時の常套句で、どこに行っても交渉するように、天津の語学学校で教えてくださっ先生に教えられてから、使い続けたのです。食料品の日付管理が、ほとんどなされていなかったのです。小さな商店などは、平気で、賞味期限切れが売られていて、牛乳などは、日付を見なかったら大変でした。

 街中の大きな人造池では、季節ごとに、展覧会が行われていたりでした。中国か日本か、どちらが起源なのか、盆栽がありました。ものすごく大きな鉢に入っていたり、日本のコンパクトな盆栽と比べてみて驚かされました。下駄や蛇の目傘があったり、切り飴や、自慢焼きの様な物までありました。そうラムネもあったりで、これもどちらが始まりか、調べたら面白いかも知れません。

 同じ東アジアで日本同様、季節季節に食べる物があって、それもみなさんの楽しみなのでしょう。下の階のご婦人が、『この時期になると、これを食べるんです!』と言って、団子や惣菜を持って来てくれたり、上の階のおばあちゃんが作ったと言って、豆腐までいただいたこともあり、田舎から送られて来たからと言って、干筍、サツマイモ、果物などももらいました。

 何だか、華南の街の音も味も匂いも懐かしくなって来ました。あの裏庭の金木犀は、今年も咲いて、芳しい香りを放っているでしょうか。秋が深まりつつあります。街路樹の木に咲く花が、実に綺麗な街でもありました。第二のふるさとへの郷愁の秋であります。そう、一番懐かしいのは、《人》でしょうか。

(金木犀と街のそこかしこに咲いていたブーゲンビリアとハイビスカスです)

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