ひまわり

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 今年の母の日に、次男が贈り物で届けてくれた数種の花の中に、ラベンダーがありました。それを植え替えた鉢の隅っこに、家内が、夏前に街を歩いていた時にもらった種を蒔いて育った花です。「ハイブリッド・サンフラワー」、とその袋にあります。

 今日は、二十四節気の「甘露」、「向日葵(ひまわり)」が、台風14号に刺激された秋雨前線が降らせた雨の降る朝に咲いたのです。完全な形で開いていませんが、紛れもなく「ひまわり」です。朝顔が終わって、寂しくなったベランダで、ただ一輪咲き出してくれました。

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スケープ・ゴート

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” Scape goat “、という言葉があります。これは、よく言われている様な「いじめ」とは違います。ユダヤの古書の中に、これについての記事が、次の様にあります。

「彼(アロン)はまた、イスラエル人の会衆から、罪のためのいけにえとして雄やぎ二頭、全焼のいけにえとして雄羊一頭を取らなければならない。
アロンは自分のための罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。
二頭のやぎを取り、それを主の前、会見の天幕の入口の所に立たせる。
アロンは二頭のやぎのためにくじを引き、一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためとする。
アロンは、主のくじに当たったやぎをささげて、それを罪のためのいけにえとする。
アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。

アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。
そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。」

 この荒野に放たれた山羊を、「スケープ・ゴート」と言います。この言葉を聞くと、一人の政治家を思い出してしまうのです。三重県から選出され、将来、トップの座を嘱望された国会議員に、藤波孝生という方がいました。ロッキード事件があって、その裁判が行われた時、官房長官として事件に連座した藤波氏が、裁判で有罪判決を受けます。その後日譚で、次の様に、ご自分の秘書に語ったそうです。

 『中曽根政権のときの問題は官房長官だった自分が責任を取ることが大事だ。田中角栄さんが捕まった、今度は中曽根さんが捕まったとなれば、日本の首相は終わった後、逮捕されるといわれてしまう。そんな国にしたくないだろう!』とです。ご自分の意思で、罪を負われたのです。それで将来の首相の機会を捨ててしまいました。

 先日亡くなった、中曽根元首相の罪を、自ら負った藤波氏の様なあり方は、もう流行らないのでしょう。大方、人は、自分の罪を他者になすりつけて、『大義のために仕方がなかった!』と考えがちです。これこそ政治の裏面にある出来事、悪弊です。どれだけの「秘書」が、そうなって表舞台から消えていったでしょうか。「悔し涙」を流した人は多そうです。

 その年のイスラエル人の全ての罪を告白され、負わされて、荒野に放たれる〈アザゼルの山羊〉は、荒野で狂い死にするのだと聞きました。そういう使命を担わされて生まれ、クジによって選ばれ、死んでいく山羊は、人の罪の重さ、厳粛さを示しています。「大贖罪日」の喜びの日に、その隠された裏側で、こんな理不尽な死があったことに、もっと人は注目しなくてはなりません。

 軍隊の内務班で、銃の解体掃除の時に、ネジをなくした兵士がいて、『誰か?』と責められ、臆して出られませんでした。その戦友に代わって、『私です!』といって前に出て、殴打制裁された人がいたと聞いたことがあります。内務班全員が、連帯責任を取らされるのを避けるためでもあった様です。そんな風に、私の根っからの罪を、身代わりに、負ってくださって死なれた方がいたのです。それで今があります。

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