日本語の美しさ

.

.
 英語を中一で学んでから、何年も経ちます。アメリカ人起業家と8年働きましたから、英語に触れる機会は、けっこう多くて長かったと思います。六十を過ぎてから、家内と一緒に、中国語を学んで、日常会話のちょっとしたことを話せる様になったでしょうか。
 
 『外国語は難しくて、学ぶには難儀だ!』と言う人がいますが、「学ぶ」のではなく「真似る」のが一番なのだそうです。〈難しいと思う脳〉で学ぶよりも、〈難しくないと思う脳〉で真似ると、” simple “ なのだそうです。この “ simple “ には次の様な意味があります。

1. 易しい、難しくない
2. 簡素な、簡略しな
3. 質素な、地味な、豪華でない
4. 単一の、一つだけで構成される
5. 単純な、複雑でない
6. 〔人が〕気取らない、控えめな、見えを張らない
7. 〈軽蔑的〉〔知的レベルが〕単純な、ばかな
8. 〈軽蔑的〉教養がない、無知な
9. 〔人が〕素朴な、洗練されていない
10. 〔人が〕真面目な、誠実な、うそをつかない
11. 普通の、いつもの、ありふれた
12. 基本の、初歩の
13. ささいな、重要でない、つまらない
14. 《植物》単一の◆【対】compound
15. 《化学》〔化合物が〕単純な
16. 《言語学》〔文構造が〕単純な  

 このリストにはないのですが、この “ simple “ には「無邪気」と言う意味もあります。3歳だった私たちの外孫が、上手に英語をお喋りするのを聞いて、まさに、言語は、〈無邪気な領域〉だということに気付くのです。私たちの小朋友の6歳のお嬢さんも、ずいぶん語彙が多くて、よくお話をしています。

 言語習得の能力というのは、子ども時代が高い様です。子供は、《 “ simple “ な脳》を持っているからでしょうか。私たちの外孫は、クラスの中で、「ワシントン大統領の演説」を暗記して、それを披露していて、その動画が娘から送られてきたことがあります。初期のアメリカの言葉は、現代英語とは違っていたのでしょうけど、授業で暗記させて、その言語能力を高めるというのは、素晴らしい教育だと感じたのです。

 昔の学生は、「論語」を素読して、そらで言えたのですから、そう言った言語能力を持っていたわけです。泉鏡花や夏目漱石の日本語能力は、驚くほどのものがあったことが分かります。それは素読や暗記によって、古語の素養があったからでした。「論語」ならずとも、「奥の細道」を暗記した、中一の頃の熱心さが持続していたら、自分の言語能力はもっと優れていたことでしょう。

 〈論語読みの論語知らず〉と言うそうですが、大陸の言語で記された漢書を、日本語で読んで、また欧米語を翻訳するという方法で、日本語ができています。もう40年ほど前になりますが、韓国のソウルに行った時に、あるお宅に食事に招かれたことがありました。そこで、『韓国語は演説や説教に向いた言語で、日本語は書く言語で、実に美しい言葉や文章ですね!』と仰っていました。確かに、日本語は《美しい言語》だと思います。大事にしたいものです。

 もう一度、泉鏡花ですが、芥川龍之介が自死した床に残されていたのが、「聖書」と「泉鏡花の本」だったそうです。江戸期の文芸や浄瑠璃などの芸能を好んだ鏡花は、その素養で、文筆活動をしたのです。大正十二年十月刊行の「十六夜」の冒頭部分は、次の様です。

『きのふは仲秋(ちうしう)十五夜で、無事平安な例年にもめづらしい、一天澄渡すみわたつた明月であつた。その前夜のあの暴風雨をわすれたやうに、朝から晴(はれ)/″\とした、お天氣模で、辻へ立たつて日を禮したほどである。おそろしき大地震大火の爲ために、大都(だいと)は半ば、阿鼻焦土となんぬ。お月見でもあるまいが、背戸の露草は青く冴えて露にさく。……廂(ひさし)破れ、軒漏るにつけても、光は身に沁む月影のなつかしさは、せめて薄(すゝき)ばかりも供へようと、大通の花屋へ買ひに出すのに、こんな時節がら、用意をして賣つてゐるだらうか。……覺束(おぼつか)ながると、つかひに行く女中が元氣な顏して、花屋になければ向う土手へ行つて、葉ばかりでも折(をつぺ)しよつて來ませうよ、といつた。いふことが、天變によつてきたへられて徹底してゐる。女でさへその意氣だ。男子は働らかなければならない。――こゝで少々小聲になるが、お互ひに稼(かせが)なければ追つ付つかない。(「青空文庫」から)』

 これは明治の日本語の好例ではないでしょうか。それに比べて、現代の日本語は砕けてしまっています。NHKの女子アナウンサーでも、『えーっ!』と思う様な喋りをされる方がいますから、それが今流なのかも知れません。でも、この美しい日本語を話したり、書いたりして、後世に残したいものです。

(明治開化の頃の服装です)

.