郷愁

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 省立の師範大学の教員住宅に住んでいた時、一階でしたので、裏に手狭な庭がついていました。住み始めた今頃の時期に、懐かしい香りがしてきたのです。しばらくの間、気がつかなかたのですが、庭の出口の三和土(たたき)の隅に、金木犀の木が植えられていて、そこに咲いた花からの香りでした。

 週初めの日、6歳の女の子のお母さんで、家内や私に、娘の様に接してくださるご婦人がいて、時々、引き籠りの私たちを連れ出してくれて、鳥居氏の居城であった、「壬生城」の城址公園に連れて行ってくださったのです。平城で、実に綺麗に整備がされていました。

 お堀の橋を渡って、その城内に入った時、あの金木犀の花の香がしてきたのです。それで、華南の街で住んだ家を思い出したのです。その家に、日本人留学生、日本語教師、家内や私が、教えていた大学や語学学校の中国人の学生のみなさんが遊びに来られて、実に賑やかでした。
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 日本からたくさん持ち帰ったカレールウで、ライス・カレーを作って、ご馳走してあげました。みなさんに好評で、ちょっと名物になりつつありました。その家からバス通りに出ると、師範大学の裏手に、「卤面lumian」と言われる、華南風煮込みうどんの店があって、よく、そこでお昼をしました。小さな牡蠣、豚肉、野菜、アサリ、麺で出来ていて、庶民の味でした。
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 その店は、同窓の日本語教師が、紹介してくれたのです。この方は、高校の英語教師をしていたのですが、それをやめて、その街の師範大学の教師をされていました。省の主催のレセプションに招かれて、食事会が持たれた時、この方も来ていて、同世代で、同業のよしみで話をしていて、何かお互いに感じたことがあって、出身校の話が出て、同窓だと分かったのです。

 「学風」を引き摺るのか、そう言った学風に惹きつけられるのか、何か似たものを互いに感じ合ったわけです。それで、食事に招いたりしていたのです。私たちが、移動時に三輪タクシーに乗っていると話をしたら、彼が、『大変危険だからやめられたほうがいいです!』と言って、猛反対をされたのです。
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 「輪タク」は、電動と人力の二種類があって、メーターがないので、乗る時に交渉して、行き先によって料金が決まるわけです。『便宜一点儿吧pianyidianerba!』と言って、『ちょっとまけてよ!』と言うのです。その交渉が、物を買う時の常套句で、どこに行っても交渉するように、天津の語学学校で教えてくださっ先生に教えられてから、使い続けたのです。食料品の日付管理が、ほとんどなされていなかったのです。小さな商店などは、平気で、賞味期限切れが売られていて、牛乳などは、日付を見なかったら大変でした。

 街中の大きな人造池では、季節ごとに、展覧会が行われていたりでした。中国か日本か、どちらが起源なのか、盆栽がありました。ものすごく大きな鉢に入っていたり、日本のコンパクトな盆栽と比べてみて驚かされました。下駄や蛇の目傘があったり、切り飴や、自慢焼きの様な物までありました。そうラムネもあったりで、これもどちらが始まりか、調べたら面白いかも知れません。

 同じ東アジアで日本同様、季節季節に食べる物があって、それもみなさんの楽しみなのでしょう。下の階のご婦人が、『この時期になると、これを食べるんです!』と言って、団子や惣菜を持って来てくれたり、上の階のおばあちゃんが作ったと言って、豆腐までいただいたこともあり、田舎から送られて来たからと言って、干筍、サツマイモ、果物などももらいました。

 何だか、華南の街の音も味も匂いも懐かしくなって来ました。あの裏庭の金木犀は、今年も咲いて、芳しい香りを放っているでしょうか。秋が深まりつつあります。街路樹の木に咲く花が、実に綺麗な街でもありました。第二のふるさとへの郷愁の秋であります。そう、一番懐かしいのは、《人》でしょうか。

(金木犀と街のそこかしこに咲いていたブーゲンビリアとハイビスカスです)

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