鯖鮨

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 北陸の若狭湾で収穫した「鯖」を、京の都に搬送するために、「鯖街道」という名の街道がありました。もちろん、今日では使われていない道路で、山道を通って京に届けたのだと言われています。いくつものルートがあったそうです。

 その主要な街道を「若狭街道」とか、その他の名で呼んでいましたが、今日の国道とは違う様です。《足が速い(鯖は水から上げられと急に鮮度が落ちて傷みやすい魚ですから)》ので、今日ではチルドにしたりして配送されるのでしょう。かつては、塩でしめて、行商人に担がれて、都に届けられたわけです。京の庶民に、どんなに喜ばれたことでしょうか。小浜市のサイト(「御食国若狭と鯖街道」より)に次の様にあります。

 『日本海にのぞみ、豊かな自然に恵まれた若狭は、古代、海産物や塩など豊富な食材を都に送り、朝廷の食を支えた「御食国」のひとつであり、御食国の時代以降も「若狭の美物(うましもの)」を都に運び、京の食文化を支えてきた。近年「鯖街道」と呼ばれる若狭と都とをつなぐ街道群は、食材だけでなく、様々な物資や人、文化を運ぶ交流の道であった。朝廷や貴族との結びつきから始まった都との交流は、「鯖街道」の往来を通じて、市民生活と結びつき、街道沿いに社寺・町並み・民俗文化財などによる全国的にも稀有なほど多彩で密度の高い往来文化遺産群を形成した。「鯖街道」をたどれば、古代から現在にかけて1500年続く往来の歴史と、伝統を守り伝える人々の営みを肌で感じることができる。』

 それで北陸から運ばれた鯖で、京の都では、「鯖鮨(寿司)」が作られ、それが京名物なのだそうです。もちろん山陰や北陸でも名物になっておりますが。実は、私は、鯖が苦手なのです。子どもの頃に、正月料理に「しめ鯖」が出てきて、それを食べて気持ち悪くなってから食べないことに決めています。同じ青魚でも、鯵(あじ)や鰤(ぶり)や秋刀魚は大好きなのですが。
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 ところが家内は、鯖が大好物で、味噌煮や塩焼きを、目の色を変えて食べているではありませんか。家では調理はしたことがありませんが、華南の街に住んでいた時、日本料理店には、塩焼きが置かれていて、『注文していいよ!』と言って上げると、大喜びをしていました。

 それでも帰国して、北関東の街に住み始めたのですが、炊事当番の私に、『鯖を食べたい!』とは、遠慮して言わないのです。鯖の端っこを、ほんのわずか食べることがあっても、それほど美味しいとは思わないのです。鮮度の良いものは、刺身にできるのだそうですが、それでも自分は食べたりはしないと思います。

 日本の近海、特に冬の日本海で漁れる魚は、特別に美味しいのだそうです。急峻な川が流れ込んだ海に、プランクトンが繁殖し、それを餌に小魚が寄って来て、さらに海藻が育つからなのだそうです。私たちの住んでいた華南の街から、海は遠くないのですが、刺身にして、新鮮な魚を食べる機会がなかったのが残念でした。

 華南の街では、焼き魚よりも煮魚が中心に、食卓に上るのです。海辺の埠頭に、取れた魚を半身にして、竹のすのこの台に干してありました。あっ、やはり「食欲の秋」なのですね。暑さが収まったら、食べものが美味しく感じられ、食欲が増進するのは、道理にかなったことであります。

(「鯖鮨」と「若狭湾」です)

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