守り

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 緑と水の流れが綺麗なオレゴンの街が、延焼し続ける火事で、こんな降灰の有様です。風が止み、雨が降る様に願っています。物は失っても、また持つことができますが、大切な命が、この災害の中で保たれます様に!

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大いなる意思

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 ジューネーブの住人だったジャン・カルヴァンが、こんなことを書き残しています。

 『天気について語るときでさえ、晴れであろうと雨であろうと、われわれは◯の主権の前に立たされている。◯が悪い天気を下すとき、それがわれわれが自らの罪や悲嘆を省みて、悔い改めるために、◯の怒りを気付かされる審判者としての自己を開示されている。◯の前に謙虚になるどころか、罪を犯して◯の怒りをかったり、われわれが互いに他者を軽蔑しあって憤慨しあうなら、天気は当分回復しないだろう、と考えるのは妥当なことではないか。われわれは◯のもとに立ち帰ることをせず、◯に罪の赦しを求めようともしない。そうした状況がいたるところで蔓延している。』

 こう言った考えは、中世的なもので、ちょっと偏りすぎていて、飛躍だと考えるでしょうか。天気は、昔から、単に偶然に、気まぐれの様に変化するのだと、人は考えていますが、この方は、創世の昔から、とてつもない《大きな意思》が働き掛けて、天気でさえも決めていると言うのです。

 急に空が暗くなって、稲光が走り、雷鳴が轟き、ものすごい雷雨が降る、そんな天気に、今年は、私の住む北関東も見舞われています。これまでにない勢力の台風が、さらに勢力を増し加えて、日本列島の沖縄、九州、朝鮮半島を、先日も襲いました。未曾有のエネルギーを擁していましたが、どうも《制限》がかかったに違いありません。

 これまでは、《制限》があって、《限界》が定められていました。傲慢な人類への憐みによってでした。それで灼熱が地を打ったり、豪雨で田畑や住まいが流されたり、落雷が街を焼き、海の水が海外線を超えて内陸を侵しても、ギリギリの線で、最小程度の被害ですんでいたのです。ところが近年、その限度を、世界中で超え始めているのを感じてなりません。

 《警告》が、《審判》に変わりつつある様に感じるのは、私だけではなさそうです。古の書に、「大洪水の記録」が記されてあります。次の様にあります。

『・・・地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。』とです。造物主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められたのです。水で地を滅ぼさざるを得なくなり、ノアに、「方舟」の造船を指示します。
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 造物主は、罪を警告し、行いを悔いて、立ち帰る様に願ったのですが、人は行いを改めようとせず、大いなるお方を侮りました。その結果、造物主は、断腸の思いで四十日四十夜に及ぶ雨の降るのを許し、天地の水門を開いて、大洪水の起こさざるを得なかったのです。乗船した八人だけが、「方舟」によって水の難から救われたのです。

 この話は、中国の西に住むミャオ族の口誦伝説にも残されていて、古の書の記事と、ほとんど一致しています。作り話ではなく、考古学者も、その事実の痕跡を発見しています。アルメニヤにアララト山がありますが、その氷河の中に、「方舟(はこぶね)」が埋没されているのが確認されているのです。

 地球の地軸が、約24.3度傾いているのが、偶然なのでしょうか。地球と太陽や月との距離が定まってることも、偶然でしょうか。春一番が吹くのも、寒冷化しないのも、また地表が燃えたり凍ったりしないのも、地球を自転させ、太陽の周りを公転させている総力は何なのでしょうか。星が降って、地球を壊滅させていない抑止力は何でしょうか。大いなる意思があって、そう定められているのです。

 もちろん自然科学上、最近の異常気象の原因や理由を知ることができますが、それ以上に、《倫理的な理由》があるのだと、カルヴァンは言っているのでしょう。怒りを示して、反省したり悔い改めることを、造物主は、21世紀の私たちに問うておられるに違いありません。

 昨年の19号台風で、住んでいた家が床上浸水したのですが、一階の客間に水が溢れ、スリッパが浮遊していたのを見て、ノアの時代の「方舟」の有様を、まざまざと想像してしまいました。

 『わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない・・・わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。』と、造物主は言われたのです。

 先日の大雨の後に、西の空に「虹」が出ていました。それを見て、二度と水で人類は滅ぼされないことを思い出したのです。でも、主権者で全地の統治者は、この暴虐と裏切りと頽廃に溢れた地をご覧になられて、何を思われておいでなのでしょうか。
人に必要なのは、悔いた心に宿る「謙虚さ」です。

(「ノアの方舟」のイラストと台風被害の人吉市の毎日新聞の写真です) 

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