端午節

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汨羅江

 明日は、「端午節」で、月曜日から三日間の連休なのです。今日は、週日の火曜日でありながら、街中は、なんとも言えない「のんびりムード」が立ち込めています。土曜日、日曜日と会社も学校もあり、その分、祭日の前二日間を休んでの連休です。

 そんなのんびりした中におりましたら、『これから伺っていいですか?』と電話がありました。今、住んでいる家の大家さん(中国語では〈房東fangtong〉)からの電話でした。10分ほどすると、手に、竹で編んだ手提げ籠を持っておられました。中には「ちまき(粽子)」が詰まっていたのです。本来なら、「店子(たなこ)」の私たちが、この祝日のためにお祝いを持っていかなければならないのに、逆に頂いてしまいました。この数年、毎年の事になってしまいます。こちらの祝日の感覚が、まだ身についていないので、そういった慣例を、つい忘れてしまうのです。今季、二回目の「ちまき」でした。法学部の教師で、弁護士をしておられ、しばらく世間話をしました。何となく通じる部分が多くなってきていて、こちらが驚いてしまうほどです。

 どうも日本と同じで、食べ物をやり取りする習慣が、こちらにもあるようです。秋の「中秋節」には、「月餅」が食べきれないほど届きます。冷凍庫にも入りきらないほどなのです。嬉しいのですが、『どうしよう?』と戸惑うことしきりです。今学期も、あと1つの授業と、2クラスの試験、そして採点、成績表の提出を残すのみとなりました。区切りの良い生活をさせていただき、重ねていく年齢を忘れてしまいそうです。今も、外は雨です。『これでいいのかしら?』と思うほど、天候不順というのでしょうか、雨が多くて、信じられないほどの涼しさです。

 そんな心配をよそに、連続35、6度ほどの酷暑の日がやってくることでしょう。真冬に生まれたのに、夏が好きな私は楽しみにしております。何となく週末を思わせる、静かな雨の夕方であります。

(写真は、屈原が入水した「汨羅江」の夕日です)

婚礼

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「スイカズラ」

 昨日は、私たちの街から貸切バスで3時間ほどのところにある街で、「婚礼」があって、50人ほどの知り合いといっしょに出かけてきました。ちょっと旧式のバスで、スプリングが古くて効かないのでしょうか、往復の道は、体全体にマッサージされているような感じがしていました。最近、レクサスとかベンツといった高級車に乗せて頂く機会が多かったので、きっと、「贅沢病」で体が悲鳴を上げたのだろうと思うのです。

 実は、「花嫁(中国語では〈新娘xinniang〉)」は、私たちが、この街に越して来ましてから、一週間とたたなたないうちに訪ねてこられて、食事をご馳走してくださった方の「教え子」なのです。『留学中に、日本の方に大変お世話をいただきましたので、とても感謝を覚えています!』、また『日本人が、私の務めている大学の「海外学院」におられると聞きましたので、お訪ねしました。』と、おっしゃってでした。留学中に、つらいことも多くあったのですが、多くの日本人に好くしていただいたことへの感謝で、私たちがご馳走になったのですから、彼女をお世話したみなさんに感謝しないといけなのですが。この方が、この6年もの間、『歯が痛いのです!』と私が言うと、医科大にいる、彼女の知り合いの医者のところに連れて行って下さり、治療を受けさせてくださったりと、まるで「子」が親に世話をするようにしてくれているのです。

 留学中に、日本の国立大学で、「法学博士号」を取られて、帰国されて2年ほど経っていたときの訪問でした。彼女は、貧しい学生を、自分の家に下宿させて、いろいろと助けていたたのですが、昨日結婚した「花嫁」は、その中の一人です。新娘のお母様は、泣いていませんでしたが、この恩師は目を赤くしていました。実母は、寂しさが半分、安心が半分なのではないでしょうか。『結婚について親にいろいろと言われていて、私も考えていますが・・・』と相談されていて、彼女は独身なのです。ところが、この方には、独身ながら「お嫁にやる母親の心」が宿っているのでしょうか。近くにいて、いっしょに奉仕してきたこともあり、助けて欲しいと願っていたのに、二年コースの学校で出会った男性から求婚されては、反対出来なかったのでしょう。

 そんな彼女の心も、ちょっと気がかりでした。でも結婚する当の彼女は、本当に喜んでいました。「結婚式」は花嫁のための「花道」ですから、花婿は霞んでいていいのです。でも娶った彼は、確りした男性ですが、やはり当然のように霞んでいました。それでいいのです。家内が、一週間、市立第二病院に入院した時には、「下の世話」までしてくれ、大学生の時にも我が家を訪ねては、家内を助けてくれていた方でした。三人目の娘の「嫁入り」のように、家内も私も、喜んだのですが、『娘をとられた!』ような気持ちがしています。

 大きな大学や新しい市政府の建物の近くで、これからお二人で一緒に働くのですが、大学生など若者たちの間で、好い働きがあるようにと願いつつ、高速を走って帰路に着きました。私たちの街に着きましたら、「篠突(しのつ)くような雨」が降リ始めました。夜10時を過ぎていましたから、タクシーを拾えません。そうしましたら、花嫁の恩師、私たちの若い友人が、自分の勤める大学の構内に駐車していた車で、わが家に送ってくださったのです。ひどく濡れずにすみました。異国の地で、いろいろなことがあって、多くの人の愛の中で、私たちは満足な日を重ねておりますので、ご安心下さい。

(写真は、「スイカズラ」です)

車軸を流す

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ハイビスカス

 先週、中国の大学入試の「統一試験」があり、『912万人が受験しました!』と、こちらのニュースが報じていました。高校卒業生で、進学しない方もいることでしょうから、同年齢の人の数が、1000万人以上いるということになります。公称13億人の人口の中で、同じ年齢の人たちが、こんなにいることに、改めて驚かされてしまいました。

 この試験が行われた二日間は、試験会場の高校周辺は、車がクラクションを鳴らすことを禁じられ、学校の附近は、車の進入も制限されるのです。国全体が、受験生の味方になって、しばらくの静寂が全土を覆うのです。今の家に越して来る前の家は、周りに高校がたくさんあって、その緊張感が、肌に伝わってくるほどでした。

 日本では、二月、三月と中学校や高校の入試が行われますが、これほどの緊張感はありません。台湾やシンガポールや韓国も、日本に似て、受験は「戦争」のような厳しさや緊張があるようです。よりよい大学に進学するために、より良い就職をするために、またよりよい結婚をするために、「好い幼稚園」、「好い中学」、「好い高校」に合格したいのでしょうか。のびのびと過ごしたり、本を読んだりしていたらいい年代なのに、そんなことで神経を擦り減らすのは、なんともはや、もったいない!

 『人生の「勝ち組」になるために!』なのでしょうか。人生って「負け組」にならないことが、一番肝要なことなのでしょうか。どう見ても「勝ち組」になっていない私の人生を省みますと、惨めそうなのですが、当の私は満足な一日一日を生きてきた自負があるのです。みなさんは、一体何に勝とうとしておられ、何に負けると思っておいでなるのでしょうか?きっと私のような者は、「蚊帳の外」とか「門外漢」とでも言われるのでしょうか。「端午節」の連休で、街の中に「のんびりムード」が漂っているのを感じます。人生の戦いがあるとするなら、それは自分との戦いなのだろうと思っています。912万の受験生の将来が、祝福されるように願っております。

 昨晩は、10時過ぎに、出先から帰宅したのですが、「車軸を流すような雨」が降っていました。その「大雨」で、我が家の近くの道路が降った雨で陥没していました。『不要なものや既成の伝統や価値観が、この雨のように押し流されてしまったらいいのに!』と思わされております。

(写真は、アパートの植え込みに咲いているのと同じ「ハイビスカス」です)