婚礼

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「スイカズラ」

 昨日は、私たちの街から貸切バスで3時間ほどのところにある街で、「婚礼」があって、50人ほどの知り合いといっしょに出かけてきました。ちょっと旧式のバスで、スプリングが古くて効かないのでしょうか、往復の道は、体全体にマッサージされているような感じがしていました。最近、レクサスとかベンツといった高級車に乗せて頂く機会が多かったので、きっと、「贅沢病」で体が悲鳴を上げたのだろうと思うのです。

 実は、「花嫁(中国語では〈新娘xinniang〉)」は、私たちが、この街に越して来ましてから、一週間とたたなたないうちに訪ねてこられて、食事をご馳走してくださった方の「教え子」なのです。『留学中に、日本の方に大変お世話をいただきましたので、とても感謝を覚えています!』、また『日本人が、私の務めている大学の「海外学院」におられると聞きましたので、お訪ねしました。』と、おっしゃってでした。留学中に、つらいことも多くあったのですが、多くの日本人に好くしていただいたことへの感謝で、私たちがご馳走になったのですから、彼女をお世話したみなさんに感謝しないといけなのですが。この方が、この6年もの間、『歯が痛いのです!』と私が言うと、医科大にいる、彼女の知り合いの医者のところに連れて行って下さり、治療を受けさせてくださったりと、まるで「子」が親に世話をするようにしてくれているのです。

 留学中に、日本の国立大学で、「法学博士号」を取られて、帰国されて2年ほど経っていたときの訪問でした。彼女は、貧しい学生を、自分の家に下宿させて、いろいろと助けていたたのですが、昨日結婚した「花嫁」は、その中の一人です。新娘のお母様は、泣いていませんでしたが、この恩師は目を赤くしていました。実母は、寂しさが半分、安心が半分なのではないでしょうか。『結婚について親にいろいろと言われていて、私も考えていますが・・・』と相談されていて、彼女は独身なのです。ところが、この方には、独身ながら「お嫁にやる母親の心」が宿っているのでしょうか。近くにいて、いっしょに奉仕してきたこともあり、助けて欲しいと願っていたのに、二年コースの学校で出会った男性から求婚されては、反対出来なかったのでしょう。

 そんな彼女の心も、ちょっと気がかりでした。でも結婚する当の彼女は、本当に喜んでいました。「結婚式」は花嫁のための「花道」ですから、花婿は霞んでいていいのです。でも娶った彼は、確りした男性ですが、やはり当然のように霞んでいました。それでいいのです。家内が、一週間、市立第二病院に入院した時には、「下の世話」までしてくれ、大学生の時にも我が家を訪ねては、家内を助けてくれていた方でした。三人目の娘の「嫁入り」のように、家内も私も、喜んだのですが、『娘をとられた!』ような気持ちがしています。

 大きな大学や新しい市政府の建物の近くで、これからお二人で一緒に働くのですが、大学生など若者たちの間で、好い働きがあるようにと願いつつ、高速を走って帰路に着きました。私たちの街に着きましたら、「篠突(しのつ)くような雨」が降リ始めました。夜10時を過ぎていましたから、タクシーを拾えません。そうしましたら、花嫁の恩師、私たちの若い友人が、自分の勤める大学の構内に駐車していた車で、わが家に送ってくださったのです。ひどく濡れずにすみました。異国の地で、いろいろなことがあって、多くの人の愛の中で、私たちは満足な日を重ねておりますので、ご安心下さい。

(写真は、「スイカズラ」です)

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