「くノ一」というのは、漢字の「女」の筆順であって、別に「女忍者」のことを言ってるわけではないようです。少々恥ずかしい話なのですが、私は、「筆順」を学んでないのです。「女」は、「一くノ」と、横線の「一」をまず初めに書いて、「く」、そして「ノ」と書いてしまいます。また「進」は、初めに「辶」を書いて、次に「旁(つくり)」を書いてしまうのです。「遊」も「迎」も「邂逅」 だって、「辶」が先になってしまうのです同。もう小学校の頃から、かたくなにずーっと、筆順はそうと思い込んでいるのです。とくに、「女」の筆順は、最近、自分が間違って覚えていると気付いたのです。
しっかり小学校の国語の時間に、学ばれたみなさんには、そういった基本的な間違いはなさらないのだと思いますが、われながら、ちょっとあきれ返ってしまいます。家人に言ったら、『もう、覚えたとおり確信をもって書いていたらいいわよ!』と言われてしまいました。実は、授業で板書しなければならなのですが、最近はまったく自信が無くなってしまって、チョークを持つ手が震えてしまうほど(!?)です。注意しながらですが、最近は、教科書通りに「くノ一」、「遊ぶ」も「旁」を書いてから「偏」を書くようになりましたが、実にぎこちなく、書き直してしまったりするのです。
『なぜだろう!』と考えて思いついたのは、自分が生半可に鵜呑みをしてしまう、「オッチョコチョイ」であって、注意深く、先生の手の動きを凝視して習得することがなかったのだと気付いたのです。今頃気づいても、どうすることができなく、まさに、年取った犬に芸を教え込むのと同じで、至極困難だと思うのです。実は、もう一つ理由に思い当たるのです。小学校入学前に、肺炎を患って、町の国立病院に入院し、入学式どころか、一学期の間は、学校に行った記憶が、ほとんど無いのです。父が東京のデパートに特注して揃えてもらった学生服、帽子、編上げの靴、ランドセル、下履き入れを身につけて記念写真をとってもらったのは、退院してからでした。その時、死線をさまよった私は、3年生までは、風邪をひいては肺炎になり、『今度肺炎を起こしたら、覚悟してください!』と主治医に母が言われたほどで、病欠児童でした。休んでいたことのほうがはるかに多い小学生でしたから、授業で、「筆順」を学ばなかったのです。自分流で、筆順を決めて書き始めてから、直されずじまいで、今日を迎えた、そういう顛末であります。
長野の「長」ですが、先日、「筆順サイト」を見て分かったのですが、初めに「l」を書いて、「一」を一本一本下に向かって書いていくのですが、私は、まず「一」を書いて、つぎに「l」を書き、「一」、「一」、そして、長い「一」を書いてしまうのです。病気で失った小学校の年月というのは、こう言った結果をもたらすのだと、言い訳と自己弁護をしております。「女」だって、さいしょに「一」を欠いたほうが、字が安定していいと思いますし、左から右に向かっての横書きの場合、「辶」を先に書いたほうが、字に安定感があると思うのですが、それは私だけの見解でしょうか。「字統」「字訓」「字通」という国宝級の辞書を編集された白川静博士が、もし生きていたら、一言文句を言いたいなと思ったりしていますし、文部省にも提言したい気分の日本の学年末の時期であります。中国文字の「汉字hanzi」と日本の「漢字」と違うのではないかと思って、調べたのですが、やはり、両国字とも筆順が違う文字が多いのです。ある本には、『筆順には複数あり、それはあって不思議なことでありません!』とありましたので、家人の言うように、確信を持って書くことにしようと、決心しました。
(この字は、「 中国汉字中笔画最多的文字」です)