『過去に目を閉ざす者は、現代にも目を閉ざすことになる。』
ヴァインゼッカー/敗戦40周年記念演説から
私たちの国の過去に、思いを向けます時に、その時代の動きを冷静に捉えられないで、舵取りを誤ってしまったことが多くありました。時代の趨勢に抗しきれずに、正義を貫くことが出来ずに、不本意な決断を下した政治的判断がありました。隣国の国境を軍靴で侵して、多くの尊い命を奪った戦争の悲惨な過去があります。しかし、打たれて、何もかも失って、裸になって初めて自由や平和の尊さ、そして生きていることの喜びを知らされたのです。それで、本来の日本と日本人のうちに継承されてきた優れた面が、生かされる時代がやってきたのではないでしょうか。過ちは猛省し、二度と過ちを侵さない決意をして起ち上がったのです。奮起した父や母の時代に、先人から受け継いだ計り知れない知的、そして自然的な財産に感謝して日本再生に取り組み始めたのです
私は、父と母によって、この世に生を受け、日本に生まれた幸福を味わっている一人であります。こんなに美しい国を他に知りません。これまで「ことば」に仕えて生きてきて、6年前からは、「日本語」を教える機会を、ここ中国の華南の地で得て、改めて感じるのは、言語が、与えらるのか、人の手で造つくられるのか知りませんが、情緒あふれる「詩的言語」、「肌で感じられる国語」なのです。書かれ話される日本語は、極めて「美しい」のです。人の心の知情意を表す言語は、あくまでも「やさしい」のです。そのようなことを感じて感謝が尽きません。
さらに、自然景観の美しい国々は、地球上に多くありますが、このように「均衡のとれた美しさ」は他に類をみません。この日本の美しさを表現するのに、一番ふさわしいことばがあります。自然は「山紫水明」です。山や川や海、畑や田圃や里山、春を告げるひばりや秋を知らせる鈴虫などの小動物、これらを守り保ってきました。その恩恵は計り知れないものがあります。コツコツと耕した畑からは、私たちの命を支える食物が芽生え、次の収穫までの日々には、細かな配慮を施してきました。緑の原野を流れ下る川の水は、近海に滋養を供給し、魚や海藻を養いました。そこで収穫された水産物は、私たちの食卓を賑やかにしてくれ、骨を強くしてくれました。決して乱獲することなく海産資源を護ってきたのです。優れた民族性を表すためには「廉直勤勉」があります。地を耕し、木を切り、魚を採り、布を紡ぎ、道具をこしらえ、書を教え、国や村を守り、様々に労している人たちは、実に勤勉で廉直(私欲がなく正直なこと)なのです。
遙かなる歴史をいうのには「悠久不変」です。この地に、人が住み始めてから、文字で記録を残す術を知らなかった時代から、語り継がれてきた人の営みは悠久です。文字を教えて頂いてからは、様々な文芸が生まれて参りました。三十一文字に思いを表現する詩は、読んでも聞いても何と心地よいことでしょうか。様々な困難な壮絶な中を過ぎるも、穏やかな日々が戻ってきて不変でした。人との関わりをいうのに「謙譲」があります。他に譲る心がけは、覇権を競った時代の只中でさえ、人々の間でも行なれてきました。自己に勝る他を尊んできたのです。日常の所作を言うのは「隣りの三寸」です。他への親切な行為は程よくなされてきました、少なからず多からず、ちょうどの愛や善意が与えられ、貰われて、それが繰り返されてきたのです。将来を思う「進取」はどうでしょうか。保守的に見えますが、「工夫」と「改良」は、あらゆる営みの中でなされてきました。より好いもの、より善い人、より良い国を求めて、次々と目標を高めて、それに向かって鋭意努力してきたのです。
今こそ自信喪失してしまった日本人が、その自信を取り戻し、誇りを持ち、この国に生まれた幸せを再確認すべき時に来ていると思うのです。私の愛読書には、「すべてのことに感謝しなさい」とあります。山から駆け降りたら海に入り込んでしまうような、窮屈な国に生まれたといって、落胆したり言い訳してはいけません。そのような国だからこそ、頂いた自然を大事に思い、長い年月、「美しさ」を培いあふれさせたのです。自然の猛威にさらされても、回復する遡及力が、この国の自然の中に内蔵されているのです。だから、私は、この国に生まれたことに感謝して、この時代の只中を、自然の摂理に従って生き、この地球を共有するすべての国で、ご自分の国の美しさを慕う人々と共に、幸福を噛みしめようと願うのであります。
(写真は、ブログ「立山に行こう!」から日本の渓谷美です)