静かに、そして激しく

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 今年の3月11日に発生しました、「東日本大震災」を思い返しております。被災され、ご家族を亡くされ、家屋も田畑も乗り物も、何もかも無くされたたみなさんのことが、まず第一に気になります。そんな突如として起こった自然災害の中で、世界中が注目した、あの「東北人の忍耐強さ」は圧巻でした。何もない、狭い国土に生まれた私たちですが、一朝ことが起きたときに、あのように振舞われたみなさんを、遠く中国の地から望みながら、「日本に生まれた幸せ」を、しっかりと覚えさせてくださったことに、心からお礼を申し上げ、心から感謝しております。しかし年の瀬を迎えて、ご不自由なことが、なおなお多いことかと思います。物の豊かさに代わる、「心の豊かさ」で、この災難を乗り越えて、新しい年に希望をつないで、越年されますように心から願っております。失ったものは甚大なのですが、残されたものの多さにも、目をおとめになられて、あらゆる面での復興が、迅速になされますようにと願っております。

 
 その復興のために、労を惜しまれず、命を賭してに、様々な分野で、お励みくださった、自衛官、警察官、消防署、公務員のみなさん、そして地元の消防団、被災者のみなさん、そのほかに他の地から駆けつけられたたボランテアのみなさん、本当にご苦労様でした。こういった一丸になって取り組む姿も、日本人の素晴らしい美点だということを改めて教えられました。また諸外国からの物心両面の援助や激励にも、大いに感動させられました。とくに生存者の捜索のために、駆けつけてくださった中国やアメリカなど諸外国からの救援隊のみなさんに、心からの感謝を覚えております。ありがとうございました。生きていることが、こんなに素晴らしいことであることも、悲しい出来事の中で学ばせていただいた大きなことでありました。かけがいのない国土が、いえ地球が、猛威を振るうこともありますが、そのようなさなかに、多くの愛が動くことを知って、「人」であることの素晴らしさも思わされております。多くの愛が、静かに、そして激しく動いた2011年でした。


 2012年が、起死回生の祝福の年となりますように、この大晦日の午後、衷心から祈り、切に願っております。「生きている幸せ」を、思い起こさせてくださって、一言お礼を申し上げます。ありがとうございました。

追伸;私の左手首には、『 Unite To  be ONE! がんばろうNIPPON 』のリストバンドが、いまだにはめられたままです。

(写真上は、中国の救援隊のみなさん、中は、自衛隊員のみなさん、下は、世界からの「祈り」です)

12月17日


 北朝鮮の公式な発表として、指導者・金正日が12月17日に死にました。その時に思い出したのは、1つの〈ブラック・ジョーク〉でした。

 1953年3月5日のことです。クレムリンに半旗が掲げられていました。何が起こったのでしょうか、それを見たある人が電話をかけて、その半旗掲揚の理由を聞いたのです。電話の向こう側から、『スターリンが死んだからです!』と答えが返ってきたのです。その意味が分からなかったのでしょうか、この人は何度も何度も電話をかけて問い直すのです。ついに電話を受け取った人が怒って、『なぜ、なんども同じことを聞いてくるのか?』と聞いたとき、その人は、『何度聞いても好い気持ちがするからです!』と答えたそうです。

 これは、ロシア版ですが、もし、北朝鮮版があるなら、抑圧されてきた国民や、拉致被害者や留守家族のみなさんは、平壌の人民政府の事務局に、『国中に半旗が掲げられているのはどうしてですか?』と、なんどもなんども電話を入れて聞きたいところでしょうか。

 この12月17日ですが、実は私の誕生日なのです。中部山岳の山奥で、村長さんの奥さんが、産婆役をかってくださって生まれたのだそうです。『早朝4時45分出生!』と、父のその年の手帳に記されてありました。この日を、かの北朝鮮では、〈生まれてはいけない日〉に決まったと、今朝のニュースが告げていました。つまり出生の届出をしていけない、笑うこともお酒を飲むことも不謹慎な日と定められるようです。私の生まれた「喜びの日」なのに、北朝鮮では「太陽が落ちた悲しみの日」として金正日を追慕するのだそうです。

 
 それで、ウィキペディアにあったブラック・ジョークをもう1つご紹介しましょう。『スターリンが死んだとき。フルシチョフら党幹部たちは、彼をどこに埋葬すればいいか悩んだという。なるべく遠くに葬りたかったのだ。でもどこの国も遺体の埋葬を引き受けようとはしなかった。困りきっていたところ、イスラエルから「建国に際し干渉しなかった恩があるので引き受けよう」との申し出があったが、フルシチョフはこれに対して丁重に断った。訳を聞かれると、フルシチョフはこう答えた。「だって彼の地では以前、一人復活しているじゃないか。」 』

 きっと体の中には、朝鮮民族の血が、滔々と流れているであろう私も、「そこに生まれなかった幸福」を感じながら、「北朝鮮に生まれた不幸」を感じているみなさんのことに思いを馳せながら、『どうして半旗が・・・』とピョンヤンに電話を入れたい衝動にかられております。言論統制の国だったら、こんなブログを書いたら、逮捕されて銃殺でしょうね。くわばら、くわばら!

(写真上は、国連旗の半旗掲揚、下は、結婚式に着る「韓服」で正装した新郎新婦です)