.
「ピグマリオン効果」を、goo辞書で調べますと、「pygmalion effectとは、教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。別名、教師期待効果(きょうしきたいこうか)、ローゼンタール効果(ローゼンタールこうか)などとも呼ばれている。なお批判者は心理学用語でのバイアスである実験者効果(じっけんしゃこうか)の一種とする。ちなみに、教師が期待しないことによって学習者の成績が下がることはゴーレム効果と呼ばれる。 」とあります。小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年、合計しますと16年間も学校教育を受けたことになります。人生八十年としますと、5分の1は、学校教育のもとにあったことになります。もちろん、高校や大学は義務教育ではないのですから、行く人、行かない人と分かれますが、幼稚園や保育園だって、過疎地の田舎で育ちましたから、私の場合はありませんでした。また小学校3年までは病欠児童でしたから、三分の一くらいしか通っていなかったと思います。それでも、学校に逝っていたころが懐かしいですね。
三度目の小学校の担任が内山先生でした。おばあちゃん、いえ、小学校2年の2学期から担任してくれた女先生が、そう見えたのです。たぶん、まだ50代の前半だったでしょうね。この先生に、初めて褒められたのです。幼児教育を受ける機会がなく、病欠児童だったので、団体生活の訓練が出来ていなかった私は、授業中に立ち歩くし、級友にちょっかいを出すし、どの学年の毎学期の通信簿には、行動の所見欄には、きまって『落ち着きがない!』と記されてありました。今でいう「ADHD(注意欠陥/多動性障害) 」でしょうか。そんな私が可哀想だったのでしょうか、内山先生には怒られた記憶が、全くないのです。国語の時間に、『ガタガタゴットンガッタン・・・』と、擬音の入った記事がありました。『これは何の音ですか?』と、内山先生が聞きました。ふだん、注意をそらして聞いていない私が、このときはしっかり聞いていたのでしょう、まっさきに手を上げたのです。いたずらですが、気が弱くて手なんか上げない子だったのにです。『それは、電車の音で、引込線に入って行く時に、線路を変えていくときの車輪の音です!』と、だいたいこんなふうに答えたと思います。そうしましたら、『ひろたくん、よくわかるわね!』と褒めてくれたのです。6年間の小学校生活で、ただ一度、2年生の2学期だったと思いますが、褒められたのです。後にも先にもないのです。
兄たちに似て運動神経はよかったようですし、知能検査の指数も高かったのだそうですが、行動に問題を持っていた私は、今でも秘密にしている多くのことが、学校でありました。病弱でわがままに育ってしまったからでしょうか、社会性が欠けていたのです。それでも、こういったことで親に怒られた記憶はないのです。やはり褒めるということは、素晴らしい教育効果を上げられることなのですね。ある方が、もう一度父親になったら、『こんなことをしたい!』という本を書いています。『子どもと子どもの母親をほめたい! 』と彼は言っていました。
どうしたことか、そんな私が学校の教師になりました。中学の担任に大きな感化を受けたからです。この先生は、毎日の朝礼と終礼、担当の社会科の授業の初めと終わりの礼の時、一段高くなっている教壇から、我々の立っている床に降りて、常に深く礼をするのです。同級のみんなは気付いていたのか、他の教師は、その教壇の上に立って挨拶をしていました。そんな違いに気付かされたのです。数年前から、こちらの学校の教壇に立つ機会が与えられ私は、この先生と同じに、どのクラスも教壇を降りて、講義の開始と終了の挨拶をしています。それ以外思いつかないからです。同じ目線にたってものを言う、同じレベルで向きあって相対する、といった気持ちが、嬉しく共感したからです。それで、担任が教えていた社会科の教師になった、いえ、させてもらったのです。能力があったのではないのですが、人に恵まれて、面倒をみてくださった方の力添えで、高校の教師をしました。また、今回もそんな人に恵まれて、こちらの教壇に立たせていただいております。
そんな自分の小学校時代を思い返して、国鉄の引込み線のある旧駅の構内を遊び場にして、上の兄の同級生が親分で、この親分の下で、遊んでいて聞いた物音を思い出したからです。そのように思い出した私を《褒めてくれたこと》、これこそが、私の原点なのだと知らされるのです。あの時、初めて得意になれて、誇らしい自分を知らせてくださったのですから、内山先生の覿面(てきめん)の教育効果には感謝が耐えません。よかった!
(写真上は、教室の様子、下は、田浦の廃線跡です)