男の締めくくり

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 先日、「象の背中」という映画を見る機会がありました。2005年1月から6月まで産経新聞に連載された秋元康の原作で、2006年に単行本として出版され、2007年の秋に公開上映されています。渋い中年男性を演じて抜群の演技力を評価されている役所広司の好演でした。その内容は、マンションを企画販売をする会社の部長である主人公が、癌に冒されされていることを主治医に告げられます。『どのくらい生きられるんですか?』との彼の問に、『一概にはいえませんが、半年が一応の目安かとも思います。』と、48歳の彼に応えます。他に転移している肺ガンでしたから、治療を勧められますが、それを拒否します。妻と娘には極秘にし、長男に事実を告げます。男同士ということでしょうか、『昨日までと同じ生活をする・・・一緒に背負(しょ)ってくれ!』と、男の決意を告げます。小説や映画の技法かも知れませんが、もう一人、愛人にも末期のガンであることを告白するのです。一緒に見ていた家内に、『あなたは誰に告白します?』と聞かれて、ことばを濁してしまいましたが、きっと私も愛人にだけ告白することでしょう。しかし「愛人」は、中国語ですと、夫に対する妻、妻に対する夫を、そう呼びますから、中国式の「愛人」ですので念のため。そんな彼が、残された日々を精一杯に生きようとするのです。どう生きるのかといいますと、過去に出会った人々、例えば中学時代のクラスメートを訪ねて初恋を告白します。また、ぎくしゃくとした関係にあった高校時代の野球部の同級生、仕事上で倒産にまで追い込んだ経営者、父親の死後から疎遠だった兄を訪ねて、過去の精算の努力をしていきます。

 主題となった「象の背中」と、この主人公の藤山幸弘のガン宣告と、どう関わりがあるのかと思っている間に、『アッ、そうか!それでこんな題にしたんだな!』と象の習性を思い出したのです。死期を悟ったゾウは群から独り離れていきます。そして断崖から流れ落ちる滝の後ろにある洞窟にわけいって、そこで死を迎える、そんな話でした。象の背中を見たのでしょうか、あるいは象のように独りになるのではなく、残された時間を治療のために奔走することをやめ、男の生の締めくくりをしていくのでしょうか。あるいは、死に逝く象の背中に乗って運ばれようとするのでしょうか、そんな話に、なんとなくつまされてしまったのです。きっと同期に入社しただろう部長仲間の同僚も、長く連れ添った奥さんも、平然と振る舞いながらも、ガン宣告以降の彼の言動の異変に、何かを感じている、映画では、そう演じられていたようです。


 「一生の不覚」という言葉があります。中国語で言いますと、「遺恨終生」と言うそうで、一生涯、遺恨を残すという意味なのでしょう。小学校6年の時に、社会科の授業でライバルだったKくんと、週末に、立川に遊びに行く約束をして、駅で待ち合わせをしました。ところが、すっかり忘れてしまった私は、その約束をすっぽぬかしてしまったのです。なんと約束不履行です。翌日、学校に行ってから、そのことが分かって、それ以来、Kくんの怒りを買って絶交状態になりました。地元の中学に進まなかった私は、彼との接点が断たれれてしまって、取り返しのつかない「一生の不覚」で、今日に至っています。半世紀以上、それを修復をしないままなのです。このことを思い起こされてしまったのです。

 実は先週、こちらでお世話になり、ご家族の必要で帰国なさった方が、久しぶりに仕事で中国に来られて、我が家にも寄って下さる約束をしたのです。その日の3時に、果物を買い、あべかわ餅を作り、美味しいお茶の用意をしていたのですが、待てど暮らせどおいでにならないのです。なにか急用があったのかと思って、5時頃までお待ちして諦めました。実は、アパートの下においでになられていて、呼び鈴を押し、携帯にメールを送っていたのに、私と家内は、全く両方とも気づきませんでした。一階の玄関でベルを押すと聞こえるはずなのに、聞こえませんでした。それに、何と携帯電話が充電切れだったのです。充電を始めたときに、メールの着信を記憶していたコールがあって、この方がメールをしておられたのを知ったのです。『しまった!』、それこそ、50数年ぶりの不覚を再犯してしまったのです。このことを、なんどもメールでお詫びしましたら、忍耐強いこの方は、『帰国したら渋谷で会いましょう!』と言ってくださったのです。こんなに嬉しいことはありませんでした。来春の帰国時に、渋谷で再会しましたら、改めてお詫びしようと思っております。

 さてKくんは、今どこで何をしているのでしょうか。彼にも会って謝罪をしなければいけないと思わされています。アッ、この藤山幸弘のように、医者に癌だと宣告されているのではありません、今のところは。なんとなく未精算のことごとが思い起こされているのです。どうにかして、お詫びの行脚をしないといけないようですが、今は中国にいて動きが取れません。来春の帰国時に、街で床屋をしている同級生がいるので、彼なら情報を持っていると思うので、訪ねて聞いてみることにします。脚のスネ、指や腕にある傷跡を数えたことがあります。傷の上に傷もありますから、親にもらった大事な肌を傷つけてしまった不幸を詫びました。それ以上に、人間関係のキズも多くあって、この映画の主人公のように数え上げなければならないようです。不覚を心から詫びなければならない人の多さに愕然としていますが、その残された機会を失わないようにと決心している「圣诞节(降誕節)」の夕べであります。

(写真上は、主演の役所広司、下は、「象の背中」のDVDです)