12月17日


 北朝鮮の公式な発表として、指導者・金正日が12月17日に死にました。その時に思い出したのは、1つの〈ブラック・ジョーク〉でした。

 1953年3月5日のことです。クレムリンに半旗が掲げられていました。何が起こったのでしょうか、それを見たある人が電話をかけて、その半旗掲揚の理由を聞いたのです。電話の向こう側から、『スターリンが死んだからです!』と答えが返ってきたのです。その意味が分からなかったのでしょうか、この人は何度も何度も電話をかけて問い直すのです。ついに電話を受け取った人が怒って、『なぜ、なんども同じことを聞いてくるのか?』と聞いたとき、その人は、『何度聞いても好い気持ちがするからです!』と答えたそうです。

 これは、ロシア版ですが、もし、北朝鮮版があるなら、抑圧されてきた国民や、拉致被害者や留守家族のみなさんは、平壌の人民政府の事務局に、『国中に半旗が掲げられているのはどうしてですか?』と、なんどもなんども電話を入れて聞きたいところでしょうか。

 この12月17日ですが、実は私の誕生日なのです。中部山岳の山奥で、村長さんの奥さんが、産婆役をかってくださって生まれたのだそうです。『早朝4時45分出生!』と、父のその年の手帳に記されてありました。この日を、かの北朝鮮では、〈生まれてはいけない日〉に決まったと、今朝のニュースが告げていました。つまり出生の届出をしていけない、笑うこともお酒を飲むことも不謹慎な日と定められるようです。私の生まれた「喜びの日」なのに、北朝鮮では「太陽が落ちた悲しみの日」として金正日を追慕するのだそうです。

 
 それで、ウィキペディアにあったブラック・ジョークをもう1つご紹介しましょう。『スターリンが死んだとき。フルシチョフら党幹部たちは、彼をどこに埋葬すればいいか悩んだという。なるべく遠くに葬りたかったのだ。でもどこの国も遺体の埋葬を引き受けようとはしなかった。困りきっていたところ、イスラエルから「建国に際し干渉しなかった恩があるので引き受けよう」との申し出があったが、フルシチョフはこれに対して丁重に断った。訳を聞かれると、フルシチョフはこう答えた。「だって彼の地では以前、一人復活しているじゃないか。」 』

 きっと体の中には、朝鮮民族の血が、滔々と流れているであろう私も、「そこに生まれなかった幸福」を感じながら、「北朝鮮に生まれた不幸」を感じているみなさんのことに思いを馳せながら、『どうして半旗が・・・』とピョンヤンに電話を入れたい衝動にかられております。言論統制の国だったら、こんなブログを書いたら、逮捕されて銃殺でしょうね。くわばら、くわばら!

(写真上は、国連旗の半旗掲揚、下は、結婚式に着る「韓服」で正装した新郎新婦です)

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