北風

さすが12月です、急に寒くなりました。冬場の最低気温は、例年ほぼ摂氏5~6度くらいですのに、今冬は、1度を記録して、みなさんも驚きの声を上げています。まだブーゲンビリアが咲き、名のわからない木に花を付けている亜熱帯ですのに、身震いするほどに縮み上がってしまいました。まるで八ヶ岳おろしが吹き下ろす冬場の生まれ故郷のようでした。雪の表面をなぜて吹いてくるから風のように、音を立てていました。なぜ寒いのかといいますと、室内を暖房する習慣がないことが、その1つの理由です。

実は昨日は、私の誕生日でした。昨年も私のために、こちらの誕生日に振舞われる《長寿麺》を作って、お祝いしてくださった方が、今年も招いてくださったのです。1ヶ月以上も前に、お嬢様を我が家に遣わせて、『誕生日に《長寿麺》を作りますからおいでください!』と言ってくださったのです。それで、迎えに来てくださった高校1年生のお嬢様と一緒に、歩いて10分ほどのお宅におじゃましました。お父様が料理をされて、9品ほどの料理に、メインデッシュの約束の《長寿麺》を出してくださいました。贅沢とは言えませんが、中国の誕生日の定番の素朴ながら、優しい心遣いのこもった麺には、ゆで卵が二つも添えて碗の中に入れてありました。格別なお祝いの意思表示が、碗からこぼれ出るかのように溢れそうでした。

今日日、《小日本》と揶揄されている仇敵の日本人の私のために、江西省出身のお父様が、腕を奮ってくださったのです。その料理に、家内と二人で、感謝にあふれて舌鼓を打たせていただきました。 食後には、きれいにデコレートされたケーキに、10本ほどの蝋燭をさして、灯をつけてくれてテーブルの上に置いてくれました。『吹き消して!』と言われた私は、一息で消しましたら、『#你的生日快乐・・・(ハッピーバースデイツゥユーの中国語版)』と、お母様とお父様といとこの中学2年生、そして家内が歌ってくれたのです。さしもの北風に凍えていた私の体も心も、いっぺんに温められて、溶かされて、喜ばしい誕生日を祝っていただいたのです。この家にも暖房器具がありませんでしたから、着ていった暖房着を脱がずに席につき、日本ではみられない食卓風景でした。室温は低かったのですが、その部屋は愛や感謝や喜びでどれほど暖かかったことでしょうか。『你是我们的一家人(あなたは私の家族の一人です!)』と、社交辞令ではなく、真心をこめて言っていただくことの多い私と家内は、北風の吹く中を、お土産と誕生日カードを手にしながら帰宅したのです。

中国の片隅で、中日友好の花が咲いていることを、みなさんに知らせたいのです。国家間のそれは、相互に様々な条件や案件が障碍となって、なかなか成就は難しいのでしょうけれど、民間では、着々と前進しているのだということをお伝えしましょう。阿倍仲麻呂も、こんな暖かな友情や、家族愛に触れたのでしょうか。この一月ほど、帰国を考えた私でしたが、来年も《長寿麺》をご馳走いただけることを期待して、新しい査証の申請に取り掛かる覚悟をした次第です。愛は凍てついた大河を押し流すほどに力あるものなのでしょうか!

(写真は、http://tonyjsp.com/food/yatai/menu-20.htmlの「長寿麺」です)