自粛


  「遠慮」、「奥床しい」、「自重」、「我慢」という、自己を規制している言葉は、日本人の感情表現や生き様を、的確に言い表わしているといえるでしょうか。そういったものを強いられ培って、忍従して生きてきた国民性を言う言葉なのでしょうか。島国で、農耕民族の私たちは、今年の収穫の中から、来年の植え付けのために、もし飢饉になったら、さらに2~3年後の蒔種のためにも、「種」を備蓄しておかなければならなかったわけです。蔵や洞の中に蓄えたら、狩猟民のように生活の基地を転々とさせて移っていくことはできません。農耕民族の我慢強さ、飢饉や貧乏などに耐えられる遺伝資質が備わっているのです。

  それで自己主張を強くしないで、『長いものには巻かれろ!』という人生哲学をもって、穏便に生きてきたのが、私たち父や祖父や曽祖父だったのにちがいありません。物が豊かで、機会にも恵まれた忍耐力のない私たちの世代の生き方とは違って、強靭な精神力を持っている世代なのでしょう。終戦後、軍需工場のあった中部山岳の山村から、東京に出てきた時の父を写した一葉の写真が、母の写真帳の中にありました。目の映るようなオジヤでしょうか、スイトンでしょうか、そんなモノしか口にできなかったそうですから、恰幅の良かった父とは別人の様な姿が映されていました。養育を委ねられた四人の男の子のために、戦中戦後を生き抜いて、食べ物や着るものを整えてくれた父の在りし日の姿なのです。

  『欲しがりません、勝つまでは!』というスローガンも、戦争中にはあったと聞きます。一億が、飢餓の中で耐乏を強いられていた時代、黙して争わず、そう要求されても、じっと唇をかんで生きていたのだそうです。そういった遺伝質を、この時代の私たちも受け継いでいるのでしょうか。3月11日に起きた大震災と大津波、それにともなう福島の原発の放射能漏れ事故、建国以来の大試練の中で、黙々として耐えている被災地のみなさんの様子に、世界は驚きの声を挙げているのです。そうやって耐えている大人を見て、『最近の子ども、若者は・・・!』と酷評されている若い世代も、それに倣っている様子には驚かされるのです。

  そんな被災地のみなさん、日本人をご覧になられて、 米紙、ニューヨーク・タイムズは、『津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた!』との見出しの記事を掲載していました(3月27日付)。「自粛」とは、[名](スル)自分から進んで、行いや態度を慎むこと。『露骨な広告を業界が―する』」とyahoo辞書にあります。国や国家権力に強制されるのは「自粛」ではないのですが、暗黙のうちに「自粛」が要求されることは賛成できません。被災地の困難を考えて、自分の行動を律するのは《美徳》だと信じます。日本という文化と伝統の中で、培われた高い心の資質、人間関係の術(すべ)だと思われます。でも、《自粛》が呪縛のようになってしまったら、これも問題なのです。馬鹿騒ぎをしないで、尋常ではない華美に走らないで、生活を楽しむことは決して悪だとは思えません。十年も子どもに恵まれなかった夫婦に、赤ちゃんが与えられたら、『東北地方ではみんなが悲しんでいるのだから・・・!』と言って、生まれてきた赤ちゃんを喜び楽しまないとしたら、これは異常なことではないでしょうか。

  どこかに喜びの歓声が上がったら、それが反響し共鳴して、四方八方に喜びがまき広がっていくのです。東京や神戸や博多の喜びが、東北地方にコダマしていくなら、東北人は、それを嫌わないでしょう。かえって共に喜んでくれるはずです。《喜び方》の問題なのではないでしょうか。私は、家内の退院を喜び、友人や家族の喜びを共有し、四十周年記念の3本のローソクの点ったケーキを、「遠慮」も「自重」も「我慢」もしないで、実に美味しく頂きました。もちろん自粛もしませんでした!

(写真は、ヒラメキワークスの「自粛のTシャツ」です)

 
  《風評被害》、goo辞書によりますと、「根拠のない噂のために受ける被害。特に、事件や事故が発生した際に、不適切な報道がなされたために、本来は無関係であるはずの人々や団体までもが損害を受 けること。例えば、ある会社の食品が原因で食中毒が発生した場合に、その食品そのものが危険であるかのような報道のために、他社の売れ行きにも影響が及ぶ など。 」とあります。

  もちろん、『健康被害となる食品をむやみに食べたり飲んだりしても構わない!』というわけではありません。次の時代を生きなければならない、幼気(いたいけ)のない子どもたちの健康保持の配慮も、決して忘れてはなりません。でも生産者の悲痛な顔をテレビの映像の中に見、語る言葉を耳にしますと、実に辛い思いがしてまいります。農産品に被害があるということは、生産地と生産農家にも被害があるということになります。生産者みなさんは、そういった環境の中で生活をしているということになります。先祖から受け継いだ土地を離れられないで、耕し続け生産してきた地での生業(なりわい)を、そう簡単には捨てて離れることなどできないのでしょう。

  家内の入院と手術を終えて、今、次男の住む代官山の家で過ごし、家内の恢復を見守っています。次男が、こう言った東北大震災での原発事故の放射能飛散や余震が続くといった異常な現況の中で、母親と私を守ろうとしてくれているのです。この様な役割というのは、父親の私の長年の務めであったのですが、今や自分の子が細かく配慮してくれて、役割を引き継いでくれていることは、なんと言って表現していいのか言葉が見つかりません。《青春の蹉跌(さてつ)》というのでしょうか、思春期に辛い経験をして、今、三十歳になる次男が、人生の山や谷を超えて、東京のど真ん中、日本のIT産業の中心地の一角に本拠地を移して、借りた部屋で自営の仕事を始めているのです。その決して広くない部屋に、私たちを受け入れていてくれることは、彼のために幾度となく涙を流し、手を合わせて祈っていた家内にとっては、どんなに大きな慰めと励ましでしょうか。

  小さな彼のベッドで、家内と休んでいるのですが、三日前の夜中に膝を出したままだったので、『膝が痛い!』と言いましたら、芳香を放つ入浴剤を入れて風呂をわかしてくれた彼が、『お風呂に入って!』と勧めてくれました。昨晩、放射能汚染に関わり危機管理を訴える講演会から帰ってきて、『放射能に汚染された葉物は食べないようにね!』と注意してくれました。なんども死に損なって、おつりとか余分を生きていていると思っている私に、そう言って注意を喚起してくれて、『生きよ!』というメッセージを発信してくれているのです。実に嬉しいかぎりです。

  この2月に、勤務地の中国に戻る予定でしたが、家内の胆石治療、私の「人間ドック」での精密検査の必要を告げられての航空券を変更しての残留、その検査が『問題ない!』との結果が出た日の夕食後の家内の緊急入院、治療、退院、再入院による摘出手術で、日が過ぎてしまいました。もう4月、結婚4四十周年を次男の家で迎え、長男家族が訪ねてくれ、買ってきてくれたケーキで祝ってもらいました。なんと、孫たちが、《ハッピーバースデイ》を歌ってくれました。そういえば、結婚生活の中で与えられた4人の子どもたちが誕生したのですから、「結婚記念日」のこの歌は的外れではないことになります。20日に私だけで中国の戻り、今後のことを考えたいと思っています。残る家内は、息子たちが世話してくれますので、安心しています。遠くにいる娘たちも、『おいでよ!』と招いていてくれますが。

  未曽有の日本の現状のもとで、生活の中には余震への恐れ、生活の不安、将来への憂慮などがあります。そんな中で、『困難に強いDNAを、本人は受け継いでいます!』と、テレビで語っておられた東工大の先生の言葉が思い出されます。風評に惑わされない正確な情報を、次男が収集してくれて、その都度知らせてくれます。そんな彼に感謝している、満開の桜の卯月の東京であります。

(写真は、長右衛門の壁紙の「桜」です)

改変


北京春秋 応援のメッセージ

 東日本大震災で被災し、仙台市内のビルの屋上で立ち往生して約8時間後に救出された中国人女性の手記が中国のインターネットで話題を集めている。
  「約80人で救出を待っていた。私が貧血で倒れそうになると、赤ちゃん連れの主婦が粉ミルクを分けてくれた。駆けずり回って水を探してくれた若い女性もい た。…みんなの携帯電話のうち、つながるのは2つだけだったが、中国人の私に真っ先に使わせてくれた。その後、行列をつくり1人ずつ家族に電話をしていた」と救出までの様子を紹介。「私を支えたのはミルクではなく、彼らの優しさだった」と日本人への感謝の気持ちをつづった。
 この手記は多くのサイトに転載され、「感動した」「がんばれ日本人」といった感想が数多く寄せられた。震災以降、中国のネットで定番だった反日的な書き込みが減少し、このような日本応援のメッセージが急増している。
  中国政府の愛国主義教育やテレビで毎日のように流される抗日ドラマにより、旧日本兵の残虐ぶりをたたき込まれている中国の若者たち。ただ今回は、メディア の震災報道やネット情報などを通じて、秩序を守り、他人を思いやる日本人のありのままの姿を知ることができた。それが善意のメッセージ急増の原因に違いな い。(矢板明夫/msn産経ニュース・北京春秋・110405)

(写真は、中国の世界遺産、「万里の長城」です)

信頼


避難所から分けてもらった食料品を受け取る住民たち=南三陸町志津川大森東、日本大震災から3週間余りがたった被災地では、避難所に物資が行き渡り始める一方、大津 波の直撃を免れた自宅で暮らす「自宅避難民」への支援が課題となっている。避難所暮らしの人よりも物資が不足しているケースもある。壊滅的な被害を受けた 宮城県南三陸町で、高台にあったために建物の損壊を免れた集落では、住民たちが厳しい生活環境の中、助け合いながら自宅避難生活を続けていた。(田中一 世)

 南三陸町中心部から約1キロ、がれきに囲まれた道を進んで高台に上がると、外見上は被災の痕跡を感じさせない「志津川大森地区」の住宅街に出る。62世帯268人が今も暮らしているが、電気、ガス、水道はストップしたままだ。

  毎日、午前10時過ぎ、集落の広場に続々と住民が集まり、すぐに70人以上が行列となる。そこに、同地区の区長を務める三浦友昭さん(62)の軽トラック が到着。住民数人が手早く荷台から段ボールを降ろす。三浦さんが約2キロ離れた避難所に連日通い、“おすそ分け”してもらっている食料だ。

 「じゃあ配るぞ。きょうはおかずはついてないけど、トイレットペーパーをもらってきた」。三浦さんの言葉に拍手がわいた。この日の食料は、住民1人につき、お湯をかけるだけで食べられる保存用のご飯のパックが1つ。それが、集落の住民がこの日に受け取った“支援”だ。
 住民らは、争うことなく、順番に家族の人数を申告し、その分を持って帰る。三浦さんは言う。「嘘の申告なんてないよ。集落自体が、避難所みたいなもんだから。みんなで助け合い、信頼しているのさ」。ほぼ人数分しかない物資が、住民全員に行き渡らなかったことはない。

 主婦の佐々木宣子さん(72)は「家の食料は底をついたし、街が無くなっちゃったから買い物もできない。これが私らの命綱ね」。先月11日の大津波は、海抜約30メートルの集落にも迫った。津波にのまれて犠牲になった住民も3人いたが、住宅は大半が無事だった。

  地震から5日ほどたったころ、電気が止まっているために冷蔵庫の食品が腐り、食料が尽きた家庭が相次いだ。そこで、三浦さんは町役場に「住民の食料をもら えねえか」と直談判した。すると「申し訳ないが、1日1回だけ取りに来るという条件なら可能だ」という答えが返ってきた。

 自宅暮らしとはいえ、水道が使えないので洗濯もできない。体調を崩したら、医師がいる避難所まで行かなければいけない。だが、三浦良美さん(78)は「自分の家に住めるというだけ、まだ幸せ」と話す。

  同地区には最近になって、たまにボランティアが差し入れに訪れる。だが、避難所のように世話係の自治体職員が常駐しているわけでもない。同町の担当者によ ると、こういった自宅避難民の数は、正確には把握できておらず、「避難所に比べ、物資が届く仕組みができていないのが実情だ」。(110404・msn産経二ユース)

 
(写真は、大震災以前の南三陸町の「アワビ漁風景」です)

「日本の大震災で中国国民が学んだこと」


  大惨事となった東日本大震災たは、 四川大地震を経験した中国人にとって他人事ではない。「他人の不幸を喜ぶ」ことや「全くの無関心」はもってのほかで、同じ人類という名のもとに、日本の幸 せを祈り、日本を応援することが、今の中国人の共通した心情だ。言葉の上だけにとどまらない人道主義こそ、大災害を目の当たりにした人類の共通意識となっ ている。今こそ、あらゆる紛争や敵対意識は一切投げ捨て、血の通う人間同士、人類にもたらされた災難にともに立ち向かう時だ。「中国青年報」が報じた。

  中国国内メディアが報じる大震災報道で、印象的な2つのことがあった。まず、混乱の中にあっても決して取り乱すことのない日本人の秩序正しさは、賞賛に値 する。次に、日本のマスコミ界や社会各界による被災者救済に対する前向きな態度も素晴らしい。中国には、「多難興邦(国家多難の際こそ国家を興隆させ よ)」という言葉がある。特に重要なことは、高校教育までに災害に関する知識を増やし、多くの経験を積むことだ。マスコミが発達した今日では、自国で災難 が起きて初めて国を興隆させるのではなく、他国で起きた災難からも学ぶことが、不可欠な重要課題であろう。

 中国国内メディアは、日本 の震災報道に眼を光らせ、国民に伝えている。これは、決して「外国賞賛」ではなく、日本を美化している訳でもなく、日本の災害が、中国人の災害教育の絶好 のチャンスであるとの見解によるものだ。「三人行必有我師(三人が何かをすれば、その中に必ず自分の師とすべき人がいる)」、学ぶことに長けているのは、 中国民族の伝統の美徳である。大震災に見舞われた後、国民からメディアまで、企業から社会団体までの日本人の振る舞いは、中国人に多くの学びと感動をもた らした。

 たとえば、国民の秩序正しさがある。このような特殊な状況下 であっても、日本人は列を作って並んでいる。公衆電話をかけるにもきちんと並び、ひとりひとりが自覚して節電に努めている。何百人が身を寄せている避難場 所では、誰一人喫煙する人はいない。人々が集まったあとには、ごみひとつ落ちていない。誰もが互いに助け合い、暴力団体もその中に入り、混乱にまぎれて悪 事を働くどころか、事務所を避難場所として開放し、被災者に食事や宿泊場所を提供している。商業界も続々と支援行動をスタート、無料電話や携帯電話電池・ 充電を無料で提供している。日本人の災難を前にした比類のない団結が随所に現れ、日本人に施された災害教育の効果の高さが見て取れる。

  メディアの節度ある態度もしかりだ。犠牲者の悲惨な場面や泣き叫ぶ被災者を報道する者はおらず、感情をむき出しにした節度のない取材をする記者もいない。 恐怖を拡散するような報道はなく、ただ被災状況の正しい情報と実用的な情報をタイムリーに伝えている。そこには、災害を前にしたメディアの本当の責任と専 門性があるだけだ。救援作業への影響を考え、救援隊に対する取材は一層行われていない。被災者の家族への取材も、彼らの胸中を配慮して行われていない。こ れまでに見慣れた地震報道と比べると、天と地ほどの差がある。

 災害に見舞われると、民族の真実の姿が映し出され、我々もそれを理解する ことができる。日本の大震災で我々が感動した各場面は、中国人の国民教育の絶好の素材となり得る。自然災害を前にして、人類がちっぽけな存在であり続け、 災難からは永遠に逃れられないとすれば、今回の大震災から、我々中国人は貴重な教訓を得ることができたのだ。もし明日災難が訪れても、我々は今までより ずっと落ち着いた態度で対応することができるに違いない。(編集KM) 「人民網日本語版」2011年3月17

(写真は、大震災のために救援に駆けつけてくださった「中国救援隊」です)

肝(きも)を据える


  第五福竜丸が、ビキニ環礁で被爆したというニュースがあったのは、小学生の頃でした(1954年3月1日)。広島と長崎で被爆した我が国にとっては、悪夢を呼び覚ます一大事件でした。小学生の私でしたが、驚いて新聞を見、ラジオを聞いたことを昨日のことのように覚えています。被爆された船長の藤山愛一郎さんの名前まで思い出せますが。次男が、この事件を知っていて、質問してきたのには驚かされたのですが。

  地震と津波で被害を受けた福島原発の事故は、精一杯に収集作業が行われていますが、昨日は、3人の東電職員が被爆されたと伝えていました。また飛散した放射能のヨウ素が農産物や水道水に混入されているとして、福島県近県や首都圏で大騒ぎになっています。確かに怖いことに違いないのですが、過剰反応を見せているのではないでしょうか。福島産ほうれん草を売ることも食べることも危険、金町浄水場から配水されている地域の水道水を赤ちゃんに飲むことを禁じる勧告も、『うーん?』と思ったのは私だけでしょうか。昨日の段階では、汚染濃度が危険値を遙かに超えていると伝えていましたが。こういうのを、「一喜一憂」というのでしょうか。こんどは、千葉産の農産物が、やり玉に挙げられています。右に左に揺さぶられて、不安が増し、恐怖心を増幅していき、よい結果にならないのですが。もちろん情報を出し惜しみしたり、秘匿することはいけませんが、冷静に判断して、もう少しのんびり、どっしりと肝を据えてもいいのではないでしょうか。福島のほうれん草の生産者の方が、テレビでインタヴューされていたときの焦燥した表情を忘れられません。

  「武士の三忘」という言葉があります。戦場に遣わされる武士には、3つの忘れなければ任務を遂行することができない大事があるのだそうです。1つは《家》、2つは《妻子》、3つは《わが身》です。原発で働かれる東電職員は、職務上の当然な業務以上に、この放射能に冒されるという危険を覚えながら、執務しているのは、まさに「武士の三忘」の決意に違いありません。30年先に、生きていられる保証など1つとしてない私たちが、将来を恐れるあまりに、マリオネットのように情報に踊らされて、危機の先取りをしているのはいただけません。

  いつでしたか、「かいわれ大根」が悪人にされたときに、時の厚生大臣が、苦い顔をしながら食べている様子をテレビで放映していました。あの方が、今の総理大臣ですが、ぜひ、首相会見の折に、おひたしにしたほうれん草を、金町の浄水場でくんだ水でわかしたお茶でも飲みながら、明るい表情で食べてほしいと思います。首都圏の需要のための農産品の生産に従事されるみなさんを安心させていただきたいのですが。言い訳よりも、はるかに説得力に溢れて、国民の思いを安心な領域に連れて行くことができますが。危機の中だからこそ、厳粛な事態だからこそ、心配を増幅してしまわないような配慮がほしいものです。

(写真は、社会福祉法人・南東北福祉事業団による、福島県会津若松市「鶴ヶ城」で、一刻も早い冬から春への変化を願います)

祈念無事


  原発事故処理に当たっておられる消防隊員、警察官、防衛隊員、東電社員のみなさんの勇気と使命感をもって、国を最大危機から救おうとする任務ぶりを、ここ遠隔の地・首都圏から応援するにつけ、《日本人の強さと弱さ》について、中学校の3年間担任として、社会科の担当として教えてくださったK先生の言葉を思い出しています。中学入学当時、三十代の後半だった先生でしたから、戦時には兵役に就いていたのではないかと思っていました。

  師は、戦争体験については何一つ語りませんでしたが、サイパン島の崖上から投身自殺をする婦人たちを、遠くからアメリカ軍艦上から撮影した映像を、課外の視聴覚教室で、中学3年の私たちに観せてくれました。悲劇を生んだ戦争への警告を、平和の中で教育を受ける私たちに告げたかったのか、と思ったことでした。中学3年といえば14歳、少年兵、予科練兵として兵役に就き得た年齢でしたから、観て当然、過去を知って当然であると判断されたからなのでしょう。K先生が言われたのは、『日本人は兵士になる適性をもっともよく備えた国民です!』ということでした。その理由を3つ挙げられました。1つは、《命令に対して従順》、2つは、《残忍になれる》、3つは、《死を恐れない》といわれました。『この身に、そんな資質を帯びているのか!』と慄然とされた頃のことを思い出します。

  2008年の秋だったと思います。私たちの若い中国の友人のおばあちゃんが、私たちを初めて食事に招いてくれました。私たちが「日本語研究会」を持っていることを知った彼が、忠実に集ってきて、その交わりを楽しんでいました。その孫に示してくれる世話への感謝を、私たちに表しかったからでしょうか、14種類ほどの料理を食卓に載せて用意してくれました。その大歓迎ぶりに驚かされて、その好意を無にしたくなく勧められるままに満腹以上にご馳走になってしまったのです。

  このおばあちゃんは、南京や上海に近い江蘇省の田舎で生まれ育ち、人民解放軍に従軍して、高級将校のご主人と、朝鮮動乱に参戦された過去を持っておられます。退役された今は、閑静な「干休所(退役幹部将校の宿舎)」にお二人で住んでおられます。食卓で、戦時中のことを謝罪した私は、『おばあちゃんの戦争体験について正直に語ってくださいますか?』と、無理に求めたのです。彼女は、苦渋の漂う表情の中から、やっとのことで話してくれました。彼女の育った村もまた、日本軍の攻撃を受けて焼かれ、多くの住民が殺されたのだそうです。彼女自身も、その放たれた火で火傷を負われたとのことでした。その彼女の招きが、「日本鬼子」の私たちへの彼女の《赦罪》だったのを知って、どんなに感謝したことでしょうか。従順という名の《盲従》、鬼畜のような《残忍》、死を恐れない《玉砕精神》が、ひとりの少女の体と心を傷つけたことになります。そんな《ひとり》が、中国大陸と東南アジと太平洋諸島に夥しくいるのです。そんな一人の人の心に、少しの癒やしをもたらすことが、彼女の孫を介してできたのかも知れません。

  戦時にみられた日本人の《弱さ》が、多くの悲劇を残しはしたのですが、今まさに、「福島原発」の復旧の業に従事している諸氏の中に、それにかわる《強さ》をみています。その死を恐れないで救国の業に励む姿は、《光輝》を放っております。命令されたのではなく、自発的に献身している姿は雄々しく《忠誠(職務と同朋へのものです)》そのものです。人を滅ぼしてやまなものへの怯むことのない攻撃精神は、《武士(もののふ)の心》であります。

  日本と日本人が、長い歴史の中で培い、天から賦与された《強さ》を身にするみなさんの献身を、心から誇ります。また私の心は、今、感謝で溢れかえっております。ご無事を衷心より祈りおります。有り難うございます!

天来の知恵

 

 

本来なら中国に戻って担当を任されました日本語科の授業のために、ひがら準備や提出された学生のみなさんの「作文」の添削で、時を過ごしていますのに、家内の入院手術に、ともにいてあげたくて、日本にとどまっております。それで、3月11日に起きました「東北関東大震災」と、それに伴って発生しました「福島原発事故」の報道ニュースに注目させていただいております。おととい、次男の家で家内と3人で、池上彰さんの「学べるニュース~生放送3時間~(tv asahi)」の番組を観ていました。この番組に、東京工業大学の原子炉工学研究所准教授の松本 義久さんが出演されておりました。

長男と同世代の研究者ですが、私たち素人にチンプンカンプンな専門的な話をされるのかと思って、耳を傾けていましたが、話しぶりは巧みではありませんが、平易な言葉で理解できるように話されており、つい聞き入ってしまったのです。松本准教授が、番組のおしまいに、この放射能汚染の危機のただ中で、大きく揺れ動く東日本の窮状のただ中で、『「お守り」があるんです!』と言われました。『今回の一連の流れの中で、2つの放射能があるんです。1つは、《本当にこわい放射能》、もう1つは、《本当は怖くない放射能》です・・・』と話され、『この《本当に怖い放射能》に立ち向かいながら、この事態を収束させようと頑張っていらっしゃる働くレスキュー隊のみなさんには、ほんとうに敬意を表します。』と謝辞を述べておいででした。

日本存続を大きく左右する現場で、放射能の汚染に冒される危険を顧みずに、一命を賭して働かれていらっしゃるみなさんへの感謝こそ、この未曾有の国家的危機を脱するために、私たちのできることだと知らされたのです。政府の対応の稚拙さ、東電の周章狼狽ぶり、福島県民の怒りと戸惑い、近隣の都県の住民の恐怖、世界中が声を上げている放射能汚染の影響、報道ニュースは、次から次へと伝えていますが、《事故現場》だけに、解決の要諦があります。『税金の無駄遣いだ!』、『憲法違反だ!』と揶揄避難されてきた自衛隊の隊員のみなさんの雄々しく危機に立ち向かい介入される姿に、背筋の伸びる思いをさせられています。警察官、消防隊員、東電の社員や下請け企業にみなさんが、最前線に立って怯(ひる)まない姿こそ、《益荒男(ますらお)》そのものではないでしょうか。

多くの危機を超え6000年の間生き続けてきた私たち人間の内側には、《天来の祝福》が宿っているのではないでしょうか。松本さんは、日本人の受け継いできたDNA(遺伝子)についても触れていました。『・・・恐れるあまりに大事なものを失ってきている・・・これだけは伝えたいと思います。私たちの体は、放射線から守る、すごい《お守り》を持っているんです。それが遺伝子・DNAなんです!』とです。否定的なことにだけ目を向けて、慌てふためいている日本人に、『だいじょうぶ、恐れるな!慌てるな!落ち着け!』と肯定的なとらえ方を訴えておられました。この科学者というよりは哲学者のような勧めに、池上さんも、解説の鈴木さん、キャスターも言葉を失っていたようです。

頑張っていてくださるみなさんが大勢いますから、私たちも頑張りたいものです。父や母、祖父や祖母たちは、幾多の困難や危機を超えて、この素晴らしい国土を、そして地球を守り残してきてくれたのですから。何よりも、造物主の《憐憫と恩寵》、全地の統治者からいただくことのできる、人知を超越した《天来の知恵》を信じたいのです!

※ この番組はyoutubeにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=wiaZKkEcCGM

(写真は、http://www.furipe-world.com/Asia/JPNの「富士と桜」です)

真理


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)
2011.03.24
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しか し、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、 あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のこと を述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自 分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。 「今日ひとりで海を見てきたよ。」そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなの だ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを 抜かすな。いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、 今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。 原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊 も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの 供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということ は何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司

警察官


ロシア上院のトルシン第1副議長は18日、東日本大震災で事故を起こした福島第1原発で放水などの冷却作業を続けている自衛隊員や警察官らを「自己犠牲をいとわない英雄」と称賛した。インタファクス通信が伝えた。

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記事本文の続き トルシン氏は、現場での決死の活動に「頭が下がる」とし「彼らは危機を解決してくれるだけでなく、とても大切な見本を示している」と指摘。

 今回の原発事故が収束した後も「日本の若い世代はこの英雄的な人々を忘れず、将来は自分の子供のために犠牲を払うだろう」と述べた。(共同)

(福島原発で公務を行う「警察官」です)
○http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110319/dst11031920030074-n1.htm
 「史上最高の駐在さん」自らを犠牲…市民の命守る2011.3.19 20:00 (MSN産経ニュース)