旅立ち

  

 『五日の夕方、街中の日本料理店で、〈謝恩会〉を持ちますので、おいで下さい。ぜひ奥様もご一緒にいらっしゃって下さい!』との電話が携帯に入りました。今年卒業する四年生の代表からでした。この学年は、1年の「会話」、2年の「聴解(視聴説)」、3年の「作文」を教えさせていただいたのですが、とても熱心に学んでいました。他の担当教師のみなさんからも、極めて良い評判の学年で、とくに男子がまとまっていたのです。大学に入って初めて日本語を学ぶ学生が多かったのですが、さすが4年の学習効果が出ていまして、敬語も適切に使えるようになっているのには、驚かされて喜びました。

 一昨年の暮れに、家内が病んで、こちらの市立第二医院に入院しました。前期の授業を終えて、日本に帰りましたら、手術ということになり、結局、こちらに戻ることができませんでした。それで、「作文」の講座の担当責任を果たすことができないまま、その学年の後期が終わってしまったのです。幸い、代理の先生が代わってくださったので事無きを得たのですが、私としては、とても残念な思いがしておりました。準備万端整えておりましたし、彼らの期待に応えられなかったので、自責の念がしていましたが、彼らは、「没関係(meiguanxi、『いいですよ!』)」と言ってくれたのです。そんな学年が、家内まで招いてくれたのです。病んで手術をしたのですが、元気を回復して、同席させてもらったのです。ほとんどが初めて接する卒業生と家内が歓談しているいる姿は感謝でした。みんなの席を順番に、家内と回って、『おめでとう!』と、祝福のことばをかけられたことは、喜びが一入でした。

 昨日、午後からの授業で、北門からキャンパスの中を歩いていましたら、寧波から来ていた学生と偶然会いました。『これから故郷に帰ります!』と挨拶し、私も、『こちらに来たら、連絡してくださいね!』と言葉をかけ、『さようなら!』をしました。言葉数の少ないハニカミ屋の彼女でしたが、4年間学ばれて、故郷に錦を飾るわけです。彼女の故郷の寧波は、上海に近く、「元寇(げんこう)」の軍隊が船出した港町で有名です。1281年の第二次の攻撃の時には、10万人の軍隊が、3500槽の船で日本を攻めたのですが、帰港したのは1,2割程度だったそうです。大きな犠牲を払ったことになります。730年後、日本語の教師が、寧波出身の学生と出会って、教壇と机の至近距離で、しばらくの時を共にしたのも、『会うは別れの始め』、嬉しいやら寂しいやら、不思議な感情が去来してしまいました。

 

 『ふるさとの雲南大学の大学院に進学します!』、『公務員になりました!』、『9月から日本の東北大学で経済学を専攻します!』とか、様々な進路を話してくれました。全員の進路を聞くことはできませんでしたが、やはり前途洋洋の門出になるのですね。青年期っていいですね!つらいことも、苦しいこともありますが、可能性に満ち溢れているからです。きっと、この卒業生の生きていく時は、激変の時代かも知れません。その変化の中を、『学び始めたことを、続けていってくださいね!』と励ましました。日本語を使うことのできる職場に就職した人たちもいますが、そうでない方のほうが多いかも知れません。でも、きっと、これからの人生に役立てていけると思うのです。「四年の学び」が終わったわけではなく、学びの入り口を入ったばかりなのです。毎日毎日の一生が学びの時です。

 みんなが用意してくださった日本料理は、大変美味しかったです。ありがとう!みなさん、大学に進学できたことは大きな祝福だったわけです。ご両親の援助や激励が背後にあっての卒業なのですから、是非感謝を表して下さい。社会人になるみなさんも、修士号や博士号に挑戦していくみなさんも、もしかしたら結婚して家庭に入る方も、その道が明るく灯されて、意義ある人生を満喫して行って下さい。旅立ちを祝福して、輝く人生に乾杯!『おめでとう!』

(写真は、http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1から「旅立ち」です)

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