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「受援力」、助けを求めたり助けを受けたりする心構えやスキルや援助のことを言っています。『内閣府が、災害後に防災ボランティアの支援を生かすため、被災地側がボランティアの支援を受け入れ、上手に寄り添うことができるように、と2010年につくったパンフレットに用いられた言葉です。これは、東日本大震災をきっかけに少しずつ知られるようになっています。』と、内閣府の定義があります。
今年は、能登半島を中心に、地震や異常なほどの多量の降雨による災害に見舞われ、被災された方々は、大変な被害に遭われています。中学3年だった次男が、阪神淡路大震災の折に、災害援助に行かれる宣教師さんに同行して、この「受援力」を発揮したことがありました。災害弱者に対する優しい気持ちは、尊いなあと思ったのです。
帰国していた長男も、中学生だった次男も、それぞれのチームで、阪神圏の被災地に、復興の手伝いに出掛けて行きました。長男は、京都の教会で待機して、お手伝いをしていたのですが、その教会に集まって、会議をしていた牧師さんたちが、夜に酒盛りをしているのに躓いたのです。
私たちに交わりの諸教会では、宣教師さんも牧師さんたちも、飲酒や喫煙をしませんでしたし、長男が留学中に参加していたアメリカの教会の牧師さんたちも、お酒は飲まなかったので、驚いてしまったのです。泊めていただいたのが、あるグループの教会だったそうで、飲酒の自由のある群れだったわけです。
自分は、若い頃に相当の量を飲んでいたのですが、信仰を持ってから、喫煙と飲酒の悪習慣から見事に離れられたのです。というか飲めなくなり、吸えなくなってしまったのです。全く必要なくなったからです。酒が入らなくても、楽しく生きられるようになりましたし、付き合いだって不自由をしませんでした。
それぞれ違いや伝統があるということが分かって、長男には好い機会だったに違いありません。『酒飲むな!』と言った教えがあったのではありませんでしたが、パウロが、『酒に酔ってはいけません(エペソ5章18節)』と、エペソの教会に勧めていますから、やがて放蕩に行き着く飲酒習慣は持たないでいるのが最善なのです。
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東日本大震災後でも、長男は、教会のチームでの支援で、ずいぶん長い間、定期的に出かけていました。
『あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(使徒20章34~35節)』
と聖書にありますから、教会も、この「受援力」を発揮してきているのです。教会の主でいらっしゃるイエスさまは、物質的にも精神的にも社会的にも、困難なところにあった人たちに近づいて、手を差し伸べておられたので、それに倣って教会は、「受援力」を発揮してきています。
時間があると、わが家に「散髪道具一式」を持ってやって来られて、家内の髪の毛を切ってくださる、音楽伝道者がおいでです。東日本大震災では、いち早く駆けつけて、支援の手を差し伸べて、さまざまな援助をされて来られています。家を借りて、気仙沼で奉仕されていたそうです。ご長女は、そこで誕生されているのです。今でも、そこで出会った方々との交わりがある様です。
その援助の中で、被災者の方たちの散髪もなさったそうで、その経験で、もうずっと家内の散髪のために、おいでくださって、髪の毛を切ってくださっるのです。お母さまの通院のためにおいでになると、時を見計っては寄ってださいます。帰国した2019年の秋に、市内を流れる巴波川や永野川が氾濫して、お借りしていた家が床上浸水になった時に、その「受援力」での奉仕で、助けてくださって以来のお付き合いなのです。昨日は、突如来てくださって、家内の散髪をしてくださったのです。
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正月以降、能登半島の地震の被災地援助をされ、このたびの水害でも出掛けられて、お宅に帰られてすぐの訪問でした。アメリカに留学したことがあって、県南の街に、奥様とお二人のお子さんとお母さまとお住まいなのです。あの「スーパーボランティア」として知られる、大分県日出町の尾畠春夫さんの様には有名ではありませんが、わが家では有名なのです。善意と奉仕は、この社会の潤滑油です。
(東日本大震災の時のリストバンド、震災被害、能登半島地震の被災の様子、オリーブオイルです)
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