さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉
今日の最高気温の予報は、22度でした。確かに昼前は、着ていった冬用のコートが不要で、脱いで手に抱えて、学校から帰ってきました。自分だけかと思って今出ましたら、何人もの方が、コートを脱いでいましし、電動車に乗っていた青年は半袖でした。このままとはいかないにしても、陽の光の強さから、そこまで春が来ているようです。
日本海側や東北や北海道、黒竜江省や吉林省や遼寧省などでは、まだまだなのでしょうが、ここ華南では、一足早めに春を感じさせられています。2011年に、家内が入院手術を日本の病院でしましたので、そばにいて上げるために日本に残りました。そのおかげで、板橋の病院の近くの満開の桜を、五年ぶりでしょうか、心ゆくまで眺めることができました。
今年は、近くの公園の中に、数本の桜の木が植えられてあるそうですから、一足お先に<観桜>と洒落込もうと思っているのですが。開花、満開、そして散る時期を推し量れなませんし、<桜前線>の予報も、こちらではありませんので、いつ頃になるのでしょうか。この公園も通り道ではなく、わざわざ出かけないとなりませんので、どうしたら好いのでしょうか。葉桜になる前に行けたら、嬉しいのですが。
日本人って、どうして桜が好きなのでしょうか。小学校の校庭に桜の木が植えられていて、ちょうど開花の頃に入学式があり、年度の移り変わりになりますので、時別な思い入れがあるのでしょう。また、開花している時期が短いこと、散り際が潔いことが、日本人の心情に合うからでもあるようです。小さな花が、『あっ、桜に似ている!』と思ったのでしょうか、「桜草」と命名してしまい、小さなピンクの貝を見て、同じように、『あっ、桜に似ている!』と言って、「桜貝」にしてしまうのです。
桜にまつわる思い出が、思いの中を駆け巡る、早春の午後であります。
(写真は、「サクラソウ」です)