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母の故郷の出雲市に、「一畑(いちばた)電気鉄道」と言う電車会社の駅があります。110年ほどの歴史があるのです。その電鉄出雲市駅から出雲大社駅への「大社線」、松江しんじ湖駅への「松江しんじ湖線」があります。
1914年に、出雲今市駅から平田駅、翌1915年に、平田駅から出雲大社駅や一畑駅、そしてしんじ湖駅まで延伸してます。地方の小都市で、頑張ってきている私鉄の会社で、母の故郷でもあることから、過疎化の波に押されて赤字路線や廃線になる場合が多いのですが、応援しています。
この路線を背景に、映画が制作されたことがあります。映画は、「Rail ways 49 歳で電車の運転手になった男に物語」でした。往年の大スター佐田啓二の子の中井貴一が主演しています。その内容は次のようです。
『50歳を目前に電車の運転士になる決意をした筒井肇は、大手家電メーカーの経営企画室長。取締役への昇進が内定するなど、東京で妻子とともに暮らす彼の人生は一見、順風満帆そのものだった。そんなある日、故郷・島根に住む肇の母が倒れたという一報が入る。さらに、親しかった肇の会社の同期が自動車事故で亡くなった。久々に帰郷した肇は、家庭を顧みてこなかったこれまでの人生、そして今後の人生について考えた。そして自分の子供の頃の夢だった「一畑電車の運転手になる」ことを実現すべく会社を退職し、一畑電車に中途入社することとなった。晴れて運転士となったのは肇の他にもうひとり、肘の故障でプロ野球入りの夢を絶たれた青年・宮田がいた。(ウイキペディアによる)』
50歳で、男の夢、男の浪漫、子どもの頃の夢を、現実にしたのですから、正直、『いいなぁ!』と羨ましく思わされた映画でした。思い返しますと、今のように衛星もなければ、コンピューターもない時代、自分は、絶海の海をゆく遠洋航路の船に乗って、本国や、訪問国、海上の船たちと、モールス信号で位置確認や情報交換をする「通信士」になるのに憧れたのです。
その動機づけは、父の机上のモールス信号の発信機でした。簡単な仕組みなのに、はるか彼方との間で、意思を疎通させる仕組みに、強烈な関心を向けたのです。父は、軍部や本社との間で、機密の連絡を取り合っていたのでしょう。それを見聞きしていた私は、『無線通信士になりたい!』を持ったのです。
小学校に入って、5、6年を担任してくださったS先生、中学三年間を担任してくださり、社会科を教えてくださったK先生から、強烈な感化を受けたのです。世の中に起こったこと、起こること、社会の仕組み、世界、歴史の歩み、将来の展望、人間などについて教えられて、『教師になりたい!』と思ってのです。
立たされ坊主なのに、散々迷惑をかけたのに、叱ったり拒絶されなかった先生に、『よく立ち直った!』と言われて、ハッと目が見開いた自分でしたが、その感動と感謝が大きかったのか、教師になれたのです。教育学を学んだのではないのですが、中学一級、高校二級の教員免許を取って、実際に、女子校の社会科教師に就くことができたのです。
一緒にボールを、追いかけ、投げ合ったクラブ仲間が代表で、『準、本当にお前教師してるんだ!』と、訪ねて来て、目をまん丸くして、じっと見ていたのです。学園事務所の受付で、10分くらい話し合ったでしょうか。お祝いと菓子折りを持ってきてくれました。悪(わる)が教員になったのが信じられずに、確かめに来たのです。
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牧師になった時には、もうだれも来ませんでした。ただ、お金を借りに一人の級友がやってきたことがあっただけでした。お母さんがクリスチャンだとかで、その縁ででしょうか、くたびれた格好で来たのです。二万円ほど貸さずに上げました。子育て中の流行らない牧師には身一杯でした。
「1:15 『キリスト・イエス罪人を救はん爲に世に來り給へり』とは、信ずべく正しく受くべき言なり、其の罪人の中にて我は首なり。
1:16 然るに我が憐憫を蒙りしは、キリスト・イエス我を首に寛容をことごとく顯し、この後、かれを信じて永遠の生命を受けんとする者の模範となし給はん爲なり。(文語訳聖書 テモテ前書1章15〜16節)」
叶えれれた夢、叶えられかった夢がありますが、考えても見なかった、「キリスト教伝道者」になった、自分の人生の展開には、未だに驚きいったままでおります。今は責任から離れておりますが、ただ「赦された罪人」の感謝な今があるのみです。
母ですが、母にも夢があったのでしょうね。山陰の宗教都市で、養女であった母には、結婚への夢、母親になる願いがあって、それが叶えれれただけではなく、心の奥に秘めた” Dream “ があったに違いありません。兄たちや弟は、何か母から聞いていたでしょうか。自分は聞かずじまいでした。
(ウイキペディアによる「一畑電鉄」、Christian clip arts による説教するパウロです)
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