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2019年の正月に、病んだ家内とともに帰国した時に、いつものエコノミー席を予約していたのに、教会の一人の姉妹が、病身の家内を気遣ってくださって、ビジネス席に席替えをしてくださったのです。初めて座り心地の良いゆったりした席に一緒に座って、帰国しました.成田空港では、係の方が車椅子で、家内を席まで出迎えてくださって、通関手続きもスムーズに済ませてくださって、降機させて頂きました。
その席の並びに、仏僧が座っておいでで、到着まで書類に目を通していたのです。まさに仏キ同座でした。この方に、私たちが名乗る機会がありませんから、耶蘇教だとは分からなかったのです。きっと、日本での学会にご出席で、講演資料を読み直していて、隣席の私たちと目を合わすこともされませんでした。アメリカ帰りですと、会釈や簡単な会話があるのですが、アジア人にはそう言った交わりがないのが、ちょっと寂しかったのです。
その仏僧を見て、インゲン豆で有名な、黄檗宗(おうばくしゅう)の隠元和尚が、江戸時代の初期に、華南の港から船に乗って、東シナ海を渡って日本の長崎、そして京都に来たことを思い出したのです。二一世紀の仏僧が、船ではなく、飛行機に乗っての日本訪問は、400年の時の隔たりがあるのに気付かされたのです。
禅宗は、臨済(りんざい)と曹洞(そうとう)で有名ですが、もう一つの一派の黄檗宗(おうばくしゅう)があります。その黄檗宗は、豆だけではなく、茶道も、日本に伝えたと言われています。私たちの住んでいた街の仏教寺院は、ものすごく大きな建物でした。勤めていた大学の横にあって、その偉容に驚かされたのです。宗教はアヘンだと言う思想の中国で、仏教は、独特の立場を持ち続けていました。
人の心をとらえて離さないものが、「死」です。人には、必ず死が訪れるので、葬儀を担い、慰霊のためにも仏教、仏教寺院を必要としているのです。政治的な脅威を与えないと言う意味で、その存在は、暗黙のうちに、この国では認められているのです。仏装で街中を歩くことが許されていました。ヴェトナムからの語学留学生が、ある年から増えて、教室の三分の一ほどになっていました。彼らも仏装だったのです。次の年にはいなくなってしまいました。国交が突如終わったからでした。
ところが、どの宗教も同じですが、その数の多さは、一党独裁の国家には脅威で、共産党に勝る規模や勢力になるのを恐れて、支配と統治のもとに、置かれる必要があります。とくに大集団になるであろうと恐るキリスト教、キリスト教徒の増加は脅威で、どうしても防がなければならないわけです。
『しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。(新改訳聖書 2テモテ4章7節)』
共産主義教育、毛思想教育を受けてきた子どもたちの間に、キリスト教徒が増え広がることは脅威なのです。家庭での宗教教育、教会につながることを強く恐れて、様々に法的な圧力をかけていました.家庭でのキリスト教育も、教会学校も認めないのです。時々、私の講義の教室に、学生ではない見慣れない方が、担任には無許可で座るようになりました。監視してるよ、と言う圧力でした。
ところが、青年たちの間で、キリスト信仰は、驚くほどの勢いで増えていました。迫害し、監視しても、互いに禁止し合うように働きかけても、心の深みに入ってしまう信仰は、取り締まりきれないのです。時々招かれてお話をさせていただいた教会の伝道師は、週日は大学の教師でした。穏やかで柔和な方でした。
その影響力を恐れた委員会から、この方は、ある年度に解雇されたのです。そうしましたら、彼は大喜びされたのです。全時間を、当てられるようになったからです。礼拝のオルガンの奏楽をされる奥さまと小学生のお子さんのお父さまでした。この方と初めてお会いした大学教師の3泊4日の宿泊聖会で、証をさせていただいたのです。200人ほどいたでしょうか、話しを終えた時に、跳んで来られて、強い握手を受けました。
さらにクリスチャンの教師も学生も多くおいでです。規制され、禁止され、迫害されればされるほどに増え広がるのです。そう言った時を共有できたことをに、誇りと感謝を覚えるのです。どうしておいででしょうか。弁護士や判事なども多くおいでです。商人も会社員も、家庭主婦もおいででした。みなさんが兄弟姉妹の強い絆で結ばれて、教会を形造っておいでなのです。愛兄姉のために祈る必要が、さらにあります。
(“いらすとや”、「ある信徒」さんのイラストです)
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