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「サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)」と言う、ユダヤ系アメリカの青年たちがいました。われわれの世代で、folk song が流行っていた頃の二人でした。英文学を専攻したサイモンの、作詞は、文学性に富んでいて、高く評価されていたのです。私たちが結婚した年に、” America “ が彼らによって作られ、歌われています。
[Verse 1]
“Let us be lovers, we’ll marry our fortunes together”
“I’ve got some real estate here in my bag”
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies
And walked off to look for America
「私たち恋人になって、私たちは結婚するの」
「僕の鞄のなかには いくつかの「不動産」も入ってるんだ」
そして僕らは煙草ひと箱に ミセス・ワグナーのパイを買い込んだ
僕らは歩き始めたんだ “アメリカ“を探す旅へと
[Verse 2]
“Kathy,” I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
“Michigan seems like a dream to me now”
It took me four days to hitchhike from Saginaw
I’ve gone to look for America
「キャシー」 ピッツバーグでグレイハウンドバスに乗り込むときに僕は言った
「今じゃミシガンも夢のように思えるよ」
サギノーからヒッチハイクするのに4日間もかかったんだ
僕はアメリカを探しに旅立ったんだ
[Verse 3]
Laughing on the bus
Playing games with the faces
She said the man in the gabardine suit was a spy
I said “Be careful his bowtie is really a camera”
バスのなかじゃ大笑いさ
乗客の顔を見ながらゲームで遊んだんだ
彼女言った「ギャバジンのスーツを着た男はスパイだって」
僕はこう言った「気を付けろ、彼の蝶タイは実はカメラだぞ“って」
[Verse 4]
“Toss me a cigarette, I think there’s one in my raincoat”
“We smoked the last one an hour ago”
So I looked at the scenery, she read her magazine
And the moon rose over an open field
「タバコを放り投げてよ 確かレインコートに1本残ってたはずだから」
「1時間前に最後の1本を吸っちゃったわ」
僕は仕方なく景色を眺めて 彼女は雑誌を読み始めた
そして向こうの広い野原に月が昇っていったんだ
[Verse 5]
“Kathy, I’m lost,” I said, though I knew she was sleeping
I’m empty and aching and I don’t know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
They’ve all come to look for America
All come to look for America
All come to look for America
「キャシー、ぼくは失くしてしまったんだ」彼女が寝むっていたのを知っていたのに、言ってみた
ぼくは空虚で苦しいのに何故だか分からない
ニュージャージーターンパイクで車を数える
彼らはみんなアメリカを探しに出てきたんだ
みんなアメリカを探しに出てきたんだ
みんなアメリカを探しに出てきたんだ
この歌詞の内、『心に穴が空虚で、どうしたらいいのかわからない I’m empty and aching and I don’t know why 』と歌っていました。青年期の正直な気持ちを表したのですが、これを聞くと、青年期というのは、心が空っぽで、心が痛く感じるのは、いいのかも知れません。その空いたところや痛んだところに、時に応じ、人や本などの思想や社会に起こる出来事への思い通して、それを一つ一つ埋めて行く時期なのだと言うことなのでしょう。
そう言った意味で、音楽を聴いたり、絵画を見たり、本を読んだり、友達や兄弟姉妹や親とも話をしながら、心の中に、様々な物事を蓄えて来たのを思い出すのです。この歌で、サイモンが作詞しているのは、自分が生まれた街や国や地球、そう言った世界を探し歩きながら、知ろうとしている、青年期の探究心の旺盛さを歌い込んだのでしょう。
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男を磨き上げるためには、ナンパな文学や音楽よりも、スポーツを選んだ自分は、情操教育が不足していたのを感じるのです。二人の兄の真似をしていた少年期だったので、兄たちが陸上部、野球部で活躍していたので、中学生になって、バスケットボール部に入ってたのです。そこには社会人、大学生が入れ替わりで、やって来ていて、高校生の練習の脇で、一緒に練習をしていたのです。
女っ気のない、野郎ばかりの世界で、揉まれ、叩かれ、真似して生きていたのです。でも、達成感や疲れや空腹で、なんか充実していたのを思い出し、心の〈空っぽさ〉なんか感じることもなかったし、レギュラーになること、守備や攻撃が上手になって、対抗試合で勝つことで、思いはいっぱいだったのです。
その頃、ポール・アンカが、『チュウチュウ トレイン!』とか『おお ダイアナ!』とか『ユウアー マイ デスティニー!』を歌い、コニー・フランシスが『かわいいベビー ハイハイ!』なんて歌って、American music が大流行りしていました。何か意味のない歌詞でしたが、曲のノリがよくて、聴いている内に歌い出したほどです。
でも、今の子どもや若者たちに、夢が欠落していて、何か危機的だと言われています。〈空っぽ〉なら埋めることができますが、〈空虚さ〉が広がっていると、ちょっと問題だと思うのです。スマホのゲームでは、その穴は埋めきれません。
こんな歌が歌われていた頃、自分も〈ニッポン探し〉の旅に出て、南に惹かれて九州に、急行電車に乗り込んで出掛けたことがありました。その時に一緒だった友人も、『突然、主人が亡くなりました!』との知らせが、奥さんから去年あって、そんな年齢になったのかと、思ったのです。そう、人生短し、ですね。
パスカルと言う人が、『人の心には空洞がある!』と、有名なことばを残しています。人の一生は、きっと、その〈空洞〉を埋めるための日々の積み重ねなのかも知れません。これも、それも、あれも、いろいろやってみて、それでも空虚感は拭い取れないのでしょう。パスカルは、その穴を埋めることができるのは、『神以外にはない!』と答えています。創造者なる神さまだけが、その空洞をご存知だからです。
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