今や異邦人ではなく

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 不思議なリズムの音楽が聞こえ、歌が聴こえて来たのが、1979年でした。久保田早紀の作詞、作曲、歌唱の「異邦人〜シルクロードのテーマ」だったのです。

子供たちが空に向かい両手をひろげ
鳥や雲や夢までも つかもうとしている
その姿は きのうまでの何も知らない私
あなたに この指が届くと信じていた
空と大地が ふれ合う彼方
過去からの旅人を 呼んでいる道
あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっとふり向いてみただけの 異邦人

市場へ行く人の波に 身体を預け
石だたみの街角を ゆらゆらとさまよう
祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき
私を置きざりに 過ぎてゆく白い朝
時間旅行が心の傷を
なぜかしら埋めてゆく 不思議な道
サヨナラだけの手紙 迷い続けて書き
あとは哀しみをもて余す 異邦人
あとは哀しみをもて余す 異邦人

 まるで、聴いていますと、シルクロードを自分が歩いているように感じたのです。この久保田早紀は、JR中央線にある八王子に住んでおられて、通学途上の車窓から沿線の風景を眺めるていると、空き地で遊んでいる子どもたちの様子が目に入ったそうです。その子どもたちが、空を見上げ、両手を広げて、まるで鳥や雲、そして夢までもつかもうとしている様に、思いが広がって来たそうです。それが作曲の発想の原点でした。

 曲想は、お父さまが、よくイランに仕事で出かけていて、帰りに、現地の音楽のカセットテープを買ってこられ、それを聞いていたそうです。またポルトガルの「ファド」の楽曲に似ているのだそうです。大ヒットした歌でした。ところが彼女は、5年ほどの歌手生活をして、突如として引退してしまったのです。

 クリスチャンになられて、聖書学校にも行かれたそうです。そこで出会った姉妹と、ここ栃木に参りましてから、私たちが出会って、数年前に、その方の家に、久米小百合さん(本名)が来られて、交わりがありました。リクエストに応じて、この「異邦人」を聞かせていただいたことがあったのです。プロの歌を生で聴いたのは初めてでした。

 極東の「市場」の様子は、映画の画面で観たことがありましたが、この歌も、“oriental” な雰囲気があって、雑踏の音が聞こえてきそうでした。聖書を読みますと、私も、「異邦人」なのです。

 『曩(さき)にはキリストなく、イスラエルの民籍に遠く、約束に屬する諸般の契約に與りなく、世に在りて希望なく、神なき者なりき。(大正訳聖書エペソ212節)』

 それなのに、今や、神さまの約束に預かることができ、キリストのゆえに、神の子の身分をいただき、国籍を天に置くことを許されたのです。今や、異邦人ではなくなったのです。よく歌った聖歌に、『・・・やがて天にて 喜び歌わん 君にまみえて 勝ち歌歌わん』との歌詞が、唇にのぼってまいります。

(ウイキペディアの「市場」の画像です)

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