「にも関わらず」笑う!

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 『「にも関わらず」笑う!』と言うことを、40年も前に、JR四ツ谷駅の近くにある上智大学で開講されていた、「死生学」のアルフォンス・デーケン教授の「生と死を考える会」の講座で聴きました。開講間もない時期に、特急電車に乗って、毎週通って受講したことがあったのです。

 都会の刺激を求めてではなく、知的な啓発が欲しくてでした。どなたかの死に直面した場合の助言ができたらと願って学ぼうとしてです。この哲学者は、だれも避けようとし、taboo の「死」について、講義できる数少ない器だったのです。ご自分は、ナチス政権下のドイツで成長されて、少年期の辛い経験や素敵な大人との出会いなどで教えられたのが、上記のことばでした。その ”humor“ について、こんなことを話されていました。

 『死とユーモアは、とても深い関係があります。不思議に思われるかもしれませんが、生きることと死ぬことが表裏一体の関係であるように、私たちが人間らしく、より良く生きていくためにはユーモアは不可欠です。(中略)外国のホスピスへ行くと、多くの日本人はびっくりします。それは、どこも共通して、末期患者のケアにあたる人たちが実に明るく、ユーモアに満ちているからです。ホスピスで交わされる会話もまた、快い笑いに満ちています。お互いに今、ここで出会っている時間を、精一杯楽しもうという気持ちから、自然に出てくる喜びと感謝が、ユーモアのある楽しい雰囲気を生むのでしょう。』とおっしゃっていました。

 哲学の理論でではなく、ご自分が、生きる上で、どんなことが起こったとしても、笑って生きてこられた方なのです。受講中に、ガンになられたことをご自分がおっしゃっておられ、それを人生に起こりうる出来事の一つとして受け入れている姿が印象的でした。その後も、長く公演活動などを続けておいででした。

 だれもが迎える「死」について、生きていく術を学ぶよりも、もっともっと大切なテーマを学ぶ機会が与えられたのは感謝で、歳を重ねて、健康が損なわれて、病んだりすることも多くなってきている今、40年も前の学びに感謝しているのです。

 当時は、「第三者の死」を考えての受講でしたが、40年ほど経った今は、もう自分や配偶者や兄弟たちの「死」を考えねばならない時を迎えているのです。家内とよく話すのですが、『何歳になっても元気で、魅力いっぱいに生きてたら、若い人に申し訳ないから、歳なりに老けたり、衰えたり、転んだりしたほうがいいよね!』の今なのです。父の死、母の死、弟の夫人の死、義父母の死、恩師たちの死、甥の死などを経て、悲嘆にくれる自分が、その悲しみを超えて、どう生き続けるかについて、講義の中で、「悲嘆のプロセス」の学びもありました。

  1. 精神的打撃と麻痺状態
  2. 否認(相手が亡くなったことを認めたくない)
  3. パニック
  4. 怒りと不当感(なぜ、私だけがこんな不幸に見舞われたのか? 等)
  5. 敵意とうらみ(なぜ、夫は私を見捨てて自殺したのか?等)
  6. 罪意識
  7. 空想形成・幻想
  8. 孤独感と抑うつ
  9. 精神的混乱とアパシー(無関心)
  10. あきらめ―受容
  11. 新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
  12. 立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生

 最近、アランドロンやアンジェリーナや神田正輝の近影を見ました。『敵わないな!』と思っていた美男子たちが、また遠い存在だった美女が、それなりに〈老けゆく秋の夜〉を迎えているのを見て、人生は短く、美貌も束の間だと言うことが、また再確認でき、命の付与者からいただける《永生の望み》を持って、死ぬまで生きることを決心した、この年末です。あのデーケン教授は、みんなに親しく「デーケンさん」と呼ばれていました。

(ウイキペディアによる、デーケンさんの生まれた「オルデンブルグ」の国立劇場です)

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