1年ほど前から、右足の付け根に違和感を感じていました。クシャミをすると軽い痛みが走るのです。『何かな?」と思っていましたが、3ヶ月ほど前から、そ の箇所がゴルフボール大にふくらんでいるのを発見したのです。昔、『ダッチョウ、ダッチョウ!』と、近所の子をからかっていた、その「鼠径ヘルニア」では ないかと疑ったのです。早速、昨年家内が入院しました、板橋中央総合病院のサイトにアクセスをして、調べましたら、やはり「脱腸」だったのです。友達をか らかって、はやし立てていたことが、自分に帰ってきたではありません。早速、外科の鼠径ヘルニアの専門医に問合わせのメールを送りましたら、その日に返信 がありました。帰国している間に入院、手術、術後の診察をしてくださるとの約束をとりつけて、1月6日に帰国しました。帰国しました翌日、病院で診察をし てもらったのです。家内の執刀医ではなかったのですが、若くて優秀との評価を受けていますK医師に診察をしてもらいました。『27日に入院、28日に手 術、そして29日退院ということでやりましょう!』と言ってくれました。
先程、次男の家に帰ってきました。27日昼前に入院し、翌日の28日午前11時15分から、ヘソとその両脇の3箇所に穴をあけて、内視鏡を使った手術をし ました。地下鉄三田線、山手線、東横線と、電車を乗り継いで帰宅しようと思ったのですが、いかんせん切り口に痛みが残っておりましたので、中山道の脇に 立って、タクシーを拾いました。その運転手さんとずっと話をしていましたら、代官山にあっという間に着いてしまいました。病気のこと、信念のこと、中国で の生活のこと、家内や子どもたちのこと、そして川口市長のこと、千利休のこと、ハワイ市民マラソンのこと、彼の家族のことなどで盛り上がってしまいまし た。『ボクは44歳で・・・』という人懐っこい方だったのです。『また、どこかで会いましょう!』、『お大事にしてください!』と,旧知の友のように、挨 拶を交わして車を降りました。客と運転手の間に、千利休の茶道で言われる「一期一会」があり、言葉と言葉の交流とは、実に不思議なものだなと思った次第で す。
数えてみますと、四回目になりました。30代の終わりに左の腎臓を摘出し、50代に左足の静脈瘤除去手術、60代初めの右腱板断裂後の縫合手術の都合3回 の全身麻酔をしましたので、今回はそういうことになりました。『廣田さん、ひろ・・・・!』と言われて、目を覚ましたときに、激痛が走った最初全身麻酔 は、11時間以上の手術だったようです。術後、1年近く左半身が麻痺して、頭がボーッとしていたのです。今回は短時間でしたから、後遺症は全く有りませ ん。この30年間に麻酔法が変わったからかも知れませんね。『来年のことを言うと鬼が笑う!』と言われますが、次回は何時、どんな手術が待っているので しょうか、きっとあるのではないかなと思うのです。
このように48時間、丸二日間での入院手術ですむというのは、医学・医術の長足の進歩なのでしょうか、ほんとうに驚かされてしまいます。それに見合うよう な、人間の心が、簡素化、即席さについていかないのではないかと感じてしまうのは私だけでしょうか。最初の手術の時に、義母が、
「あなたの◯、◯であるわたしが、あなたの右の手を握り、『おそれるな。わたしがあなたを助ける。』と言ってるのだから」
と、メモ書きして渡してくれたのを思い出し、昨日の朝、読み直していました。その義母も、この三月で、百一歳になりますが、今は寝たきりで目をさますこと も稀になり、ほとんど会話もありませんが、義母の娘婿への深い愛を思い返していました。これも偶然ではなく、必然の「一期一会」なのでしょうか、多くの人 に励まされ、叱られ、そして勇気づけられてきた日々を,ただただ感謝して、ブログの原稿を書き込んでいます。同じ病室の方は、上の兄と同い年の工務店主の 大工さんで、彼とも会話が弾んでしまい、息子さんがあとを継がれて、父子三代の大工家族だと喜んでいました。痛かったのですが、いくつかの出会いに感謝し て。