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バターを塗ったり、たっぷりのクリームチーズとスモークサーモンをのせたりしたベーグルは、今や米国の朝食の定番になっている。2020年だけでも、2億200万人の米国人がベーグルを食べた。だが、ベーグルは元々ユダヤ教徒の食べ物だった。ここでは、ベーグルがどのように生まれ、独自の進化を遂げつつ定番メニューとなるに至ったのかを振り返ってみたい。
[ベーグルの誕生]
ベーグルの誕生にまつわる神話はいくつかある。良く知られている言い伝えでは、1683年のオスマン帝国によるウィーン包囲の撃退に貢献したポーランドのヤン3世ソビエスキに敬意を表してパン職人が作ったパンが始まりだという。また、9世紀にプロセインかポーランドに住んでいたユダヤ人パン職人が、反ユダヤ政策によってパンを焼くことを禁じられていたため、パン生地を茹でることを思いついたという話もある。
しかし、ベーグルの歴史に詳しいマリア・バリンスカ氏は、著書『The Bagel: The Surprising History of a Modest Bread(ベーグル:控えめなパンの意外な歴史)』のなかで、どちらの話も事実ではないと主張する。
バリンスカ氏によると、ベーグルの起源はウィーン包囲よりもはるかに古く、13世紀に、現在のポーランドがある東ヨーロッパに住んでいたユダヤ人パン職人にまで遡るという。当時、主にユダヤ教徒とキリスト教徒を分離するために、ユダヤ商人たちの活動を細かく規定した反ユダヤ政策があった。そんななか、パン職人には少しばかり自由が多く与えられ、ユダヤ人だけでなく近所に住むキリスト教徒のためにもパンを焼くことが許されていた。
なかでも特に人気だったのは、低脂肪の生地を輪の形に成型して茹でた「オブワルザネク」と呼ばれるパンだった。その起源はドイツだと考えられているが、四旬節の間、脂肪分の多い食べ物を控えていたキリスト教徒が、これを好んで買い求めた。また、ユダヤ人向けにはそれよりも小さく、1人分の大きさに作ったものを、日常的に食べるパンとして販売していた。こちらは、ポーランド語でバイゲル、イディッシュ語でベイガルと呼ばれていた。
やがてポーランドのユダヤ人社会は、ベーグルに様々な意味を込めるようになる。新生児を保護する風習の一環として、産後の母親に食べさせたり、弔いの儀式に使われたりした。そのうちキリスト教徒も、オブワルザネクではなく、普段食べるパンとして、ユダヤ系のパン屋からベーグルを購入するようになった。こうして、東ヨーロッパの都市化と近代化に伴い、ベーグル人気は拡大していった。
[移民とともに米国へ、労働者たちが立ち上がる]
19世紀、ヨーロッパからのユダヤ移民とともに、ベーグルも米国へやってきた。当初、ベーグルはユダヤ人の居住区内でのみ食べられていたが、やがてユダヤ人以外にも知られるようになり、労働者運動の高まりとともに重要な役割を担うようになる。当時、移民労働者は室温が高く害虫がはびこるパン工房で低賃金の長時間労働を強いられていた。1907年、この状況を改善しようと、ニューヨークのベーグル職人が国際ベーグル職人組合を結成した。
全員ユダヤ人で構成された組合は、ベーグルの作り方に関する知識を固く守り、ユダヤ人の客に対しては、移民を搾取するパン屋ではなく組合所属のパン屋で買い物するよう働きかけた。組合は、20世紀を通して何度かストライキを起こして成果を上げ、急成長していた米国労働者運動において最も成功した組合の一つとして知られるようになった。しかし、ベーグル製造機が普及し、ユダヤ人社会以外にもベーグルが広がると、組合は次第に影響力を失っていく。
1964年9月18日、米ニューヨーク州ヘンプステッドのパン工房で、沸騰した湯にベーグルの生地を入れるベン・ゲルステイン。ベーグルは、先に茹でてからオーブンで焼く。
1918年にカナダのパン職人、マイヤー・トンプソンが発明したベーグル製造機は、1960年代に米国に持ち込まれた。トンプソンの息子のダニエルは、この技術の使用許可を、コネチカット州ニューヘイブンでパン工房を経営していたマリー・レンダーに与えた。レンダーは売り上げを増やすために機械を導入し、今では当たり前となった半分にスライスされた冷凍ベーグルや、プレーン味と塩味以外の味付きベーグルを開発した。
[1960年代には米国で人気に食べ物に]
1965年になると、ベーグルはすっかり米国で人気の食べ物になっていた。ベーグル信奉者は、別の移民食であるスモークサーモンをベーグルと合わせるという新しい食べ方を発見した。食の歴史家は、この組み合わせは少なくとも20世紀初頭には存在していたと考えている。当時、ユダヤ人経営の総菜屋が、スカンディナビアからの移民のレシピで作ったサーモンを売り出していたためだ。間もなく、スモークサーモンとクリームチーズはベーグルに合わせる代表的な食材として人気を博し、朝の食卓の定番となった。
ロサンゼルスの「ブルックリンベーグルス」で、出荷される前のベーグル。この工場は、20世紀初頭のニューヨーク市で影響力があったベーグル職人組合をルーツとし、現在は南カリフォルニアで人気。
こうして、ユダヤ教徒の伝統的なパンと移民の創意工夫が融合したいかにも米国らしい朝食が誕生した。とはいえ、現在多くの米国人がクリームチーズと一緒に楽しんでいるベーグルは、その昔ポーランドのユダヤ人パン職人が作っていたオブワルザネクとは全く違う食べ物のように見えるかもしれない。
歴史家のマシュー・グッドマン氏は、ベーグル製造機の登場でベーグルの作り方が大きく変わったと記している。生地改良剤や保存料が加えられ、お湯で茹でるという工程が、オーブンで蒸すという工程に取って代わられた。
「そもそも、ベーグルは小さく、風味豊かで、どっしりとして、皮がカリカリしていたが、今は全く正反対の、巨大で味気のない、枕のようなふわふわしたパンになってしまった」と、グッドマン氏は書いている。
ベーグルの大量生産は、パンの製造者にとって新たな境地を切り開いたかもしれない。だが同時に、ユダヤ教の伝統と、組合所属の小さな町のパン屋さんというルーツが失われてしまった。それでも私たちは、穴の開いた丸いパンを一口かじるごとに、数百年におよぶ意外なベーグルの歴史と物語を噛みしめることができる。(転載記事)
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このベーグルは、次男が、〈ユダヤ社会発祥〉と言って好きだったので、よく買ってきてくれて食べました。とくに洪水の後に、疎開させていただいた高根沢の教会の近くのモールの中に、パン屋さんがあって、そこで買ったベーグルは美味しかったのです。しかも安かったのです。
一般的に、一個300円近くもするので、最近は手が出ません。製造工程が大変なのでしょうか。でももう少し安かったらいいのにと思います。家内は、小麦アレルギーだと思って、敬遠していたのですが、「アレ検」で、そうでないことが分かってからは、国産小麦にこだわって、パンを食べますが、Gluten free の米粉パンを、よもぎ粉を入れたりして、自分で焼き始めています。
ほとんどこだわらない私ですが、小麦粉は、子ども時代のコッペパンを食べていた頃から食べ続けていて、昨日は、四つ葉生協のパンで、サンドイッチを作って、お昼にしましたら、デーサーヴィスから帰ってきた家内が、お腹が減ったのでしょうか、『美味しい!』と言いながら食べてくれました。最近、ベーグルにはご無沙汰です。
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