『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。 (哀歌3章22節)』
義兄が転勤した街が、長野県下にありました。招いてくださって、生まれて間もない長男を連れて、家内と三人で、結婚後、初めて特急列車に乗せてもらって訪ねました。
綺麗な、落ち着いた街でした。そのような街の中央を、遠い山から流れ下る綺麗な川があって、その流れのほとりに、教会がありました。週日の夕べに、伝道集会があって、そこに連れて行ってもらい参加したのです。大きな教団の教会で、お名前を存じ上げていた牧師さんが、その集いの講師で招かれて、お話をされていました。
今では、聞き心地のよいお話で、繁栄や祝福について語られることが多い中、流石、この年配の牧師さんは、「罪」の問題を取り上げ,「十字架」を語っておいででした。行為だけの問題ではなく、動悸や背景について、罪の根についてお話しされておいでだったのです。
校長先生が万引きで、逮捕されたと言う挿話をされたのです。当時、それは衝撃的な話として、マスコミに取り上げられたのです。どうして、そんな罪を犯したのでしょうか。取り調べをしましたら、まだ大学に通っていた時に、万引きの経験があったそうです。その時は、捕まらずに済んだまま、教員試験に合格し、学校に勤務したのです。
つい最近、学校の教師が、知り合いの男性を殺すと言った、衝撃的なニュースが報じられていて、「聖職」と言われていた職業が、ずいぶん大きな damage を負ってしまったのです。自分も教職の経験がありますので、〈けしからん教師〉のw同僚にいましたから、驚きませんが、残念な事件です。
この女校長ですが、社会的な立場があった時期には、その盗癖は表にあらわれずに、押さえ込まれていたのです。ところが、間も無く退職をする時期に、精神的に不安定になったのでしょうか、正しく処置されずに、長年覆い隠されていたものが、露出して、物に手をつけて盗みをしてしまったのです。
ある罪は、社会的な立場や責任の重さを意識している間は、覆い隠されているのかも知れませんが、何かの心に不安が襲ってくると、蒸し返されてしまうのでしょうか。長く築いてきた信用を、一瞬にして失う行動に駆り立ててしまったわけです。罪の力に抗しきれず、意志の力だけでは防ぎきれなくて、再発する可能性があると言うことです。これが罪なのです。
私が、学校に行っていた頃から読んできた聖書の中に、『盗んではならない(出エジプト20章17節)』とか『去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。(イザヤ52章11節、2コリント6章17節)』などと言う箇所があって、いつも罪に走ろうとすると、この聖句や、そのほかの聖句が brake になっていたのです。でも罪の誘惑が強くて、負けてしまっていたのです。
罪責観に苛まれながらも、罪に引きずられて生きていたのが少年期、青年期だったのです。そんな時期を過ごして、罪の呵責を覚えていた時、『もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(1ヨハネ1章9節)』と言う聖句が想いの中にやってきて、『赦されるのだ!』と言う思いが湧き上がったのです。
その頃、宣教師が開拓し、母が導かれ、そして兄が牧師になっていた教会に、宣教師さんが、テキサスの教会の Conference で、共に励まし合っていて、後にニューヨークの聖書学校で教師をしていた方が、アフリカに行く途次に、この教会に寄られ、その方を講師に特別集会が持たれました。
話が終わると、その説教者が、『祈りますので前においでください!』と招いたのです。私の思いには、強烈に『出るな!』と引き止める声があって、出られませんでした。翌晩、同じように集会があって、出ましたら、同じように祈りの時がありました。躊躇していた私の席に、兄が来て、出るように促し、フッとついて出てしまったのです。その説教者が、私ともう一人の年配のご婦人の頭に手を置いて、異言で祈ったのです。
すると、突然、私が嫌ってきた「異言」を語り始めてしまったのです。そうしましたら、激しく泣いたのだそうです。私は覚えていないのですが、義姉が後にそう言ってくれました。悔い改めと赦しの感謝で泣いたのでしょう。同時に、『イエス・キリストの十字架の死が自分の罪の赦しのためであった!』と言う理解が湧きが上がったのです。驚くほどの喜びがやってきました。さらに伝道者への献身の思いが湧き上がってきたではありませんか。
それが、いわゆる「聖霊のバプテスマ」を、私が経験させていただいた、一連の出来事だったのです。それから、いっぺんに生活が変わったのです。十二分に汚れた者でしたが、馴染んだことごとを捨てられたのです。汚れたものから距離を置けたのです。もう盗みませんでした。酔っ払うことも、おかしな場所に出入りすることもなくなり、赦された確信が溢れたのです。そして翌年の春に結婚をし、その翌年、勤めていた職場を退職し、五月に長男が生まれました。宣教師の開拓伝道の助手とさせていただいて、伝道者になる訓練を受け始めたのです。
私に、新しい救い確信を与えてくれたのは、『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ人2章8~9節)』と言う聖書箇所でした。義とされ、聖とされ、子とされ、やがて栄光化される救いの確信に入れていただいたのが、聖霊の働きだったのです。
その後には、〈罪の精算〉に心が向かったのです。盗みを働いた、少年期を過ごした街の大通りにある店に、お金を持って行き、女主人にお詫びをしたり、ご免なさいをして、罪の償いをし始めたのです。捕まって、警察に補導されて、こっぴどく叱られていたら、よかったのですが、遅まきながらキヨちゃんにも詫びられたのです。最近も思い出した、通っていた学校での罪があって、それをどうするか、後期高齢期になってしまった私は思案中です。そうすべきことが多過ぎて困り果てているのです。すべきことがなお残されている今であります。
(女鳥羽川河畔、バスが向かう先の曲がったあたりに店がありました)
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