夏到来

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 在華中の借りていた家で、突然停電になったことがありました。朝の食事に、食パンをトーストをし、毎朝飲むアールグレイの紅茶を入れ、食べ終わった直後でした。また、洗濯機も回し、洗い終わって干した後だったのです。その日は、お昼を招かれて出かける予定でした。

 停電とか断水の時には、「通知」が張り出されるのですが、見落としていたんだと思って、そのままバスに乗って師範大学前のバス停で降り、若い友人のお宅にお邪魔したのです。ご主人が、お母さまから受け継いだと言う地元の料理を主に作ってくださり、何と7種類もの料理を、汗まみれになって作って、もてなしてくれました。

 その年の秋には、小学校3年に進級する息子さんが、ご両親の掃除を手伝ってくれて、歓迎の手伝いをしてくれたのだそうです。自分の両親が招いたことの意味を知って、心からの歓迎をしてくれたのです。この子は、お母さんのお腹の中にいた時に、出会ってからのお付き合いでした。

 お母さんは、大学の日本語科の教師をし、お父さんも同じ大学の情報科学の教師なのです。自分が生まれる前から、親の知人だということも、この子の歓迎の理由だったのでしょう。茶菓を、この子が進めてくれ、その可愛らしさに目を細めてしまいました。『この地でよく食べられているのです!』との郷土料理は、実に美味しかったのです。

 食事が終わった時、この子のお母さんの親族の方が訪ねて来られました。東京の江戸川区に息子家族がおいでで、ご本人も若い日に日本に留学したことがあり、帰国後は、ほとんど日本語を使わなかったそうですが、よく日本語を覚えておいででした。小学生のお孫さん二人の日本での生活に心配なことがあって、そんなことが話題で、とても良い時を持って、私たちは帰宅したのです。

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 『帰ったら電気が来てるよね!』と期待しながら帰ったのですが、まだ停電中でした。ちょっとおかしいので、上階の方にお聞きしたら、『停電ではありません!』と言うのです。わが家だけが停電だったのです。それで友人に電話をしたら、すぐに来てくださって、問題をチェックしてくれたのです。

 夜中の11時半まで、友人の友人と、家内の日本語クラスの生徒のお父さんと三人で調べてくれたのです。『明日にしよう!』とのことで帰られました。配線にトラブルがあるそうで、その晩は、ローソクの光で過ごし、エアコンなしで休んだのです。

 翌朝、二人の方が来てくれ、別の電線を繋いでくれて、通電する事ができました。暑い中、大汗をかいて修理交換をしてくれたのです。家内のクラス中に電気が通じて、エアコンを入れることができました。丸一日、24時間に及ぶ停電で、日頃感謝の少ない電気のありがたさと、篤い友情とを味えた一日だったのを思い出しています。

 良い人たちに恵まれて感謝なことが多い、13年でした。そうしましたら、大家さん(房東fangtong)」がいとこを連れて、仕上げの仕事をしてくれました。それで、冷房の効く部屋が戻ってきて、みなさんの愛に感謝したのです。   

 先ごろ、夏に備えて、エアコンの掃除をしたので、停電の全くない日本の生活を感謝したところです。先ほど、雷がなって強い雨が降り始めました。停電がない代わりに、地震が多く、日本中で頻発している昨今です。あの息子さんも、もう高校生になっていて、オーストラリアに、お母さんの妹がいて。留学をしたと聞いています。ここにも夏が来て、停電の一日を思い出したところです。雷鳴は、夏到来のしるしなのでしょう。

( ”いらすとや“ のイラストです)

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