私の生まれた年に流行った歌に、「ラバウル小唄」があります。作詞が若杉雄三郎、作曲が島口駒夫で、「遠洋航路」の別名もあります。
1
さらば ラバウルよ また來るまでは
しばし 別れの 涙がにじむ
戀し懷し あの島 見れば
椰子の 葉かげに 十字星
2
船は 出てゆく 港の沖へ
いとし あの娘の 打ちふるハンカチ
声をしのんで こころで泣いて
両手 合わせて ありがとう
3
波の しぶきで 眠れぬ夜は
語り あかそよ デッキの上で
星が またたく あの星 みれば
くわえ 煙草も ほろにがい
4
赤い 夕陽が 波間に沈む
果ては 何處ぞ 水平線よ
今日も はるばる 南洋航路
男 船乗り かもめ鳥
5
さすが男と あの娘は 言うた
燃ゆる 思いを マストに かかげ
ゆれる 心は 憧れ はるか
今日は 赤道 椰子の下
この歌詞 に出てくる「ラバウル」は、パプア・ニューギニアのブリテン島にある町で、かつて旧日本軍の航空隊の基地がありました。この歌は、軍歌ではなかったのですが、兵士たちに好んで歌われたようです。大阪港から「蘇州号」に乗って上海に向かった船の中で、この歌を思い出した私は、波を見ながら歌っていました。ところが二日目、台風が行ったばかりの外海は、荒波が立っていたのです。これまで5回ほど乗船経験があり、この歌の三番の歌詞の「波の しぶきで 眠れぬ夜は 語りあかそよ デッキの上で・・・」のように、道連れになった方たちと語り合うことが多くありました。しかし、今回は、そんな気分はなれなかったのです。「船員も船酔いしていたようです!」と後になって聞いたように、船が前後に揺れて、朝食を摂ったあとは、昼も夜も食事を食べずに、水分補給だけはして、船室のベッドに横になるばかりだったのです。さながら船内は「ゴーストタウン」のように静まり返っていました。小さな子どもたちでさえも、走り回らなかったのです。
そんなこんなの船旅で、上海で下船したのですが、上海は朝から真夏日が照り付けていました。「動車(中国番の新幹線)」のチケットを買っておいてくれた学生さんと落ち合う喫茶店に、何と徒歩で向かったのです。近いはずなのに、体力がなかったので遠く感じられ、荷は重くて倒れるばかりでした。その朝も食べられなかった私は、息子が「はい、おやつ。持っていって!」と渡してくれた「干しイチジク」を食べていたので、どうにか持ち堪えることができたのです。Nさんと会えて、始発駅まで送っていただきました。彼女に荷物を一つ持っていただいた時は、彼女が天使のように思えて感謝でいっぱいでした。
Nさんと息子のお陰で、「熱中症」にもならないで、無事に帰宅することができたわけです。「次回は、飛行機!」と決心したのですが、あの何とも言えない船のゆったりした揺れと語らいが、懐かしくなってきていますので、この決心は撤回されるかも知れません。初めて「吐き気」を覚えた夏の出来事でした。
(写真上は、上海と大阪間を就航する「蘇州号」、下は、「上海」です)