映画

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 2010年に、映画「キャタピラー」が上映されました。若松孝二監督の作品で、「ベルリン映画祭」では、主演の寺島しのぶが「銀熊賞(最優秀女優賞)」を受賞しています。この映画を作るにあたって、若松孝二は、『・・・男たちを戦場へ送り出して残された女性たち、それも大都会ではなく、例えば農村に残された女性たちの姿を通して、戦争がいかに愚かなことであるか描いてみよ うと考えたのです。いかなる戦争であれ、正義のための戦争というのは存在しません。どんな理由をつけようと、戦争はただの殺人です。そして戦争が起こった時、最も苦しむのは、政治家や兵士ではない。子どもたち、さらには女性たちです。戦争によって、女性がどれほどの苦しみを押しつけられるのか。それを描い たのが、この「キャタピラー」という映画です。』と語っています。

 1939年生まれの若松孝二は、戦時下に生まれていますから、宮城の農村から出征していく兵隊たちのほのかな記憶が、子ども心に残っているのだそうです。『甲府の街が燃えて、空が真っ赤になっているのを、山の中の家から見たのを覚えている!』と言った兄と同学年ですから、彼らも戦争を引きずりながら生きてきたことになるのでしょうか。その彼が、過去の《愚かな戦争》を描いて、平和の中に迷走する日本の社会に送り出したのです。この映画は、日本でよりも、ベルリンで高い評価を受けたのは、やはりヨーロッパを戦争に巻き込んだ国であったからでしょうか。

 初めて観た岩松作品でしたが、噂に聞いてきた彼の作品とは違って、『好かった!』と思わされたのです。戦争を知らない世代への一つに強い主張だと思います。戦争で大怪我をし、四肢を失い、話すことも聞くこともできない姿で復員してきたのが主人公の夫です。幾つもの勲章を受け、地元の新聞にもその戦功が讃えられ、送り出した村人からは、「軍神」に祀り上げられるのです。傷痍軍人になって帰ってきた夫の世話を、妻は献身的にするのですが、かつては暴力を振るっていた夫を、嫌々世話をするのです。時々、軍服と軍帽を着せ、勲章を胸に下げて着飾らせた夫を、「軍神」として連れ出して、村の中を巡回するのです。軍神の妻として、ほめられていい気分になる姿を、寺島しのぶが好演しています。しかし夫と二人になるときは、憎しみや嫌悪感を表すのですが。

 やがて、戦地での陵辱の光景がフラッシュバックしてきて、それに主人公の夫がさいなまれる場面が、映しだされます。それは、やはり日本の軍隊、日本の軍人たちが持っていた隠された素顔の一面だったのでしょうか。若松孝二は、そこを描きたかったのではないでしょうか。『軍神だと祀り上げられても、戦地では盗みや婦女を暴行した獣だったのだ!』、そういった彼らが、兵士の中にいた事を強調したかったのでしょう。死線をさまよう兵士の狂気があったことは、否めません。統計をみますと、中国大陸で、日本軍によって殺害された中国の兵士と民間人のみなさんの数は、1100万人にも昇るとの統計があります。実に膨大な数ではないでしょうか。ですから、「反日」があって当然なのかも知れません。

 主人公の夫は不自由な体で、家から這って出て、家の前にある池に身を投じて死んでいきます。人道に悖(もと)った行為を最前線でしたことの罪責感に責められ、精神的に追い込まれて、そういった最後を選ぶのです。こういった悲劇で終わります。銃後の妻たちの葛藤を演じた寺島しのぶは、やはり歌舞伎役者の子として素晴らしい演技者だと感心させられました。生々しく戦争と、戦争被害と、罪責を描きつつ、岩松孝二が訴えているのは、やはり《反戦》なのです。この若松孝二監督が、昨日亡くなられたとニュースが伝えていました。戦争と戦後を橋渡しした世代の人だったのですね。ご遺族の上にお慰めがありますように!

(写真は、映画「キャタピラー」で主演を演じた寺島しのぶです)

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