もう乙女そのものでした!

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 『生きるって、生きているって、生かされているって素晴らしいな!』と感じた、この日曜日の午後の出来事でした。ほとんどの参加者が、ラジオ体操仲間だったのです。昔、自治会の会長さんだった方がおいででした。この方のお孫さんが、看護師をされていて、看護のつらさを話され、辞めたい気持ちを話されているのだと、家内が聞いたのです。それで自分の入院経験から、看護師さんが、決められた看護以上のことを自分にしてくれた経験などを、この元会長さんに話したことがあったのです。

 『お孫さんを励ましてあげてください。素晴らしいお仕事なんですから!』と、自分の入院経験を添えて助言をしたのです。昔聴いたことのある歌を、懐かしそうにカラオケしていました。そう、礼拝を終えた後、昼食を摂って、年4回ほど行われる、自治会の「カラオケ会」に参加したのです。

 ラジオ体操が、この日曜日の朝にあって、この元会長さんは、杖をついてやって来られて、一人一人に挨拶をして回られ、暮れに入院手術をした私に、『具合はいかがですか?』と聞いてくれました。市の老人大学で、一緒に聴講する、大先輩の仲間なのです。

 この方の同級生のご婦人が、その会においででした。なかなか歌をリクエストしなかったのですが、われわれより少し若い世代の会の世話をしてくださる方、この方も体操仲間で、集われても出渋るみなさんを激励して、カラオケ歌集を渡しては、選曲を促していました。やっと会のお開きが近くになって、歌い出されたのです。何と「接吻(くちづけ)」と、力を込めて歌っている歌詞が聴き取れました。『ああ、この方も若い頃、そんな sweet な経験があったんだろうなあ!』と、感感慨深く聴いたのです。94歳のご婦人が、もう乙女そのものでした。

 息子さんを五十歳代で亡くされた85歳の方も、奥さまを誘ったのだそうで、同伴でおいででした。息子が家を建てて間もなく、亡くなられたのだと、話してくれていました。その悲しみを負いながら、ご自分の家と、その息子さんの思い出の溢れた家を行き来して暮らしていると言っておられました。知らない歌謡曲を、奥さまが歌われ、ご主人も、「川」と言う演歌を渋く歌っておいででした。漬かると、毎年、梅をくださるご夫妻なのです。

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 お嬢さんを産んで、間も無くでしょうか、ご主人と離婚されて、実家(ふるさと)に帰って来られて、ご両親のお世話をし終えて、ご自分の老後の今を生きておいでです。学校で学ばれた美術を生かした、パッチワークを教え、作品作りをされては、美術仲間と、秋には、大きなホールのある、その地階の展示室で展覧会を開いておいでです。私たちもお招きいただいて見学させてもらいました。知らない歌でしたが、歌詞に、『・・・独りで生きてきて・・・』と聞き取れ、独りで頑張って生きて来られた、同学年のご婦人です。

 東京にいる、小学生のお孫さんが、登校拒否をしておられて、おばあちゃんのそんな悩みを話されたこともありました。お嬢さんが、時々、そのお子さんを連れておいでになられています。『若い時に、離婚したことを悔やんでいるんです!』と家内に言ったことがあったそうです。みなさん、それぞれの今を生きていて、歳を重ねたもわれわ世代も、これからの若い世代も、上手く生きられないで、それでも精一杯、反省や悔いも交えての今を生きているわけです。

 家のそばを流れる巴波川の流れを利した、「舟運」を江戸期に行われた先祖をお持ちで、当時の出納帳とか、舟主の遺された物、印半纏なども見せていただいたこともありました。わが家にも来られて一緒に、珈琲を飲んで、好い時を過ごすことが、時々できています。

 カラオケなど、まずやったことのない、演歌など無用な家内は、ひとりでも、このカラオケ会に参加してきていて、この日曜は、私を誘って行ったのです。カラオケに「讃美歌」があって、そこから、選んで歌っていました。愛だ恋だではない歌を、みなさん聴いて、拍手してくださっていました。心の叫びや若かりし頃の思い出を、こう言った形で、歌い表すのも、「しばしの娯楽のひと時」なのでしょう。

 ポリュカルポスという名の教会の指導者が、昔いたのです。イエスさまの弟子のヨハネの弟子でした。ある時、ウズラと遊んでいたのです。そんな彼を見た人が、『どうしてそんな無駄なことをして時間を過ごすのですか?』と聞いたのです。聞いたのは猟師でした。肩にした弓をとって、プリリュカルポスは、こう言ったそうです。『あなたは猟を終えると、弦を緩めるでしょう。私も同じなんです。』と答えたとか、どなたにも、そう言った「弛緩(しかん)の時」が必要なのでしょうか。

 実は、もう何十年も前になりますが、あるご婦人とduettoで、「なみだの操」を歌ったことがありました。殿様キングスというグループの歌で、1973年の暮れに発表され、レコード200万枚突破の演歌でした。スーパーのパートをしていた職場の忘年会に出て、どうしても歌わされた歌でした。でも、『ここでは歌えないなあ!』と思って、昨日は、歌いませんでした。次回は、の今回でした。

 この地で、孤立しないことも大切で、今は、地域のみなさんと共にありたいと、関わりを持とうとしているのです。みなさん、強がらないで、弱さを感じる今を精一杯生きておいでの、素敵な日曜の午後でした。ご主人を送られて、独り暮らしの家を、お嬢さんが訪ねて来れるという、ライフ・スタイルのみなさんがほとんどです。

 去年の暮れには、17歳と18歳の二人の孫娘と一緒に、誕生会をしてもらいました。『18歳と80歳の違い」を感じながら、自分のその年齢の頃を思い出しさせられ、この二人の青春を祝福できたのです。老いて素敵なことも多くあるのは喜びです。 

(ウイキペディア、世界遺産イベリア半島の地中海沿岸の岩絵です)

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