政府の財務省に、新紙幣の肖像画に関する規定があって、次の様に公表されています。
紙幣の肖像については、近年の改刷では、
(1)偽造防止の観点から、なるべく精密な写真を入手できること、(2)肖像彫刻の観点からみて、品格のある紙幣にふさわしい肖像であること、(3)肖像の人物が国民各層に広く知られており、その業績が広く認められていること、このことを踏まえて、明治以降の人物から選ばれています。
1958年(昭和33年)に初めて発行された一万円札には、飛鳥時代(593〜710年の118年間)に活躍した人物で、「聖徳太子」が選ばれました。大阪の街中のターミナル鉄道駅で、「天王寺駅」がありますが、その名の寺院を建立した人物だったのです。さらに、「十七ヶ条憲法」をまとめ、国の骨格を定めてもいて、遣隋使を派遣した人でもありました。
この聖徳太子の肖像で、両手にしている「笏(しゃく)」を見て、『アイスクリームをこんな大きなヘラにつけて食べられたらいいなあ!』と、次女が言ったことがありました。その娘は、今、二児の母として、終盤の親業に励んでおります。
さらに、1984年(昭和59年)と2004年(平成16年)に発行された時に、「高額紙幣として、品格のある紙幣にふさわしい肖像であり、また、肖像の人物が一般的にも、国際的にも、知名度が高い明治以降の文化人であること。」とされ、それに相応しかったのが、この福沢諭吉でした。
この福沢は、豊前国(今の大分県に当たります)の中津藩の武士で、幕府の使節として、欧米に派遣された時に、その文化に触れて、あの「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり。」と言う言葉を紹介しています。さらに、「されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」と続けています。
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つまり「学ぶか、学ばないかによって、人の違いが生まれる」ということです。福沢諭吉は、それだけ学びが重要という考えを持っていた人物で、慶應義塾を起こし、教育的な面で貢献しています。
2024年7月3日に、福沢諭吉の肖像から改刷、発行された新一万円札の肖像は、渋沢栄一でした。「私は、あくまでも尊徳先生の遺されたる4ヶ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを希(ねが)うのである。」と述べています。さらに、「企業が利益を追求するのは自然なことだが、お金儲けのベースには、常に道徳心がなくてはいけない(「道徳経済合一説」によります)。」とも言ったそうです。
この人は、近代日本の発展のために尽くしたと言われて、「日本資本主義の父」だと、高く評価されています。これまで、この人は、肖像候補にされたにもかかわらず、没になってきて、やっと令和の世になって、岸田前首相の時代に選ばれているのです。
「道徳心」の涵養をスローガンに掲げながらも、心を制したり、欲望を統御できずに、多くの妻妾(妻以外に夜伽として囲われる女性を言います)を持った男だったのです。経済発展への貢献は大きかった裏側で、そんな生き方をしていたことの表裏矛盾を、私は、自分の孫たちにどう理解させ、納得させたらいいのでしょうか。
福沢諭吉が選ばれる基準の「品格」は、それから30年経って、考慮されなくなってしまったのでしょうか。そんなことよりも、経済面や商業面での貢献だけが、岸田政権下で評価されてしまったのは、見境のない時代を反映していたのでしょうか。繁栄だけを求めたり、目標とされることが国家目的で、そんなに誇れない下品極まりない男に、令和の子どもたちのモデルになって欲しいのでしょうか。紙幣を飾る人として、品格や人格の高潔さを吟味する必要がありそうです。
(ウイキペディアの「世界の紙幣」、「アメリカ硬貨です)
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