[人]研鑽し合ってきた仲間たち

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同じ伝道者の道に導かれた方たちと、交わりがあって、何度も一緒に集まっては、交流会を持ってきました。「仲間」と呼ぶのがいいのではないかなと思うのです。互いに励まし合いながら、緩い決まりの中での切磋琢磨の交流でした。

 テキサスの街の教会で、定期的に持たれていた “ conference “に、多くの若者がやって来たそうです。日本から戻って、そこで日本宣教の報告を聞いて、啓発されたようです。そこで出会って、同じような vision に立って、学び合い、励まし合った宣教師さんたちが、日本にやって来られたのです。

 みなさんは、大きな宣教団体には属さないで、母教会の応援で、地味に宣教をされておいででした。戦後のしばらくした時期に、来日されて始まった東京の教会で、奉仕をした後に、日本の各地に出掛けて行き、福音宣教をされたみなさんだったのです。ヨーロッパから来られた宣教師さんも、その交わりの中に加えられていたのです。

 各地に建て上げられていった教会で献身し、または、その宣教師さんたちを慕ってやって来られて、献身したみなさんが、長く交わりを続けてきていました。そに他には、宣教師さんのご子息たちもおいででした。宣教師さんたちの母教会の牧師さんたちや、神学校や聖書学校の教師のみなさんが、よく訪ねて来られると、seminar が開かれ、主の務めを志した方たちが集っていた、素晴らしい交流会だったのです。

 そう言ったみさんと研鑽し合いながら、自分も挑戦されながら歩んできました。ある時、その宣教師さんの中のお一人が、『あなたがたmatureな働き人は、自分の城を築き上げるのではなく、若い兄弟に務めを任せて、新しい地に出て行きなさい!』と言われたのです。

 自分が、宣教師さんたちと同じような奉仕ができるなどとは思いませんでしたが、教会の主が、導いてくださって、私と家内も隣国に出かけて行ったのです。そこへの門戸が、目の前に開かれたわけです。一般社会では定年年齢の六十になってからでしたが、これ以前に出て行こうとすると、怪我をしてしまったり、様々な必要があって行けず仕舞いだったのです。

 大きな怪我をし、手術をした後でしたが、2006年に、ある団体で、隣国で奉仕された方の勧めもあって、出掛けますと、そこで出会いがあって、道が開かれて行ったのです。結局十三年間、そこにいさせていただいて、家内が病んだ段階で帰国したのです。

 それから時が過ぎて、6年目になりました。宣教師さん方は、主の元に帰られ、一緒に交わった兄は引退をしたりで、あの交わりから疎遠になってしまい、思い出ばかりになってしまいました。個人的には、ある方と交わりは続いていますが、一緒に学び合い、話し合ったりした日々が懐かしいのです。

 教会の主が、出会わせてくださった交わりであって、人が作り出したものではなかったと思うのです。編み物の横糸と縦糸が編み合わされるようにされた交わりだったのでしょうか。時が過ぎ、歳を重ね、健康状態も変化し、様々の要因で、その交わりも変化するのでしょうか。どうしても人として寂しさを託(かこ)つ今日この頃であります。

(  Christian clip arts のイラストです)

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