会話を楽しむ

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 押し迫った昨年の暮れ、『今日は、せめてお餅ぐらいは!』と決心して、幸来橋の袂のバス停から、ふれあいバスに乗って、「にしかた道の駅」に、買い出しに出かけたのです。小型バスにたった一人の乗車でした。バスに乗り込みましたら、『久し振りですね!』と、運転手さんが声をかけてこられました。何度も利用の顔馴染みの方だったのです。

 途中、東武日光線の家中駅から、出張の会社員が二人乗り込んできて、大きな工場で下車して行き、また乗客一人だけになって、運転手さんと運転歴のエピソードなどの話をして、道の駅で、『ありがとうございました!』と感謝して下車したのです。

 いつも、ここに行く時には、新鮮な野菜、切り餅、梅干し、椎茸などを、おもに買ってくるのですが、「のし餅」があって、それを一枚買ったのです。それに干し柿、スティック・ブロッコリー、ほうれん草、梅干し、宮ねぎ(ここでは下仁田葱をそう呼んでいるのです)などを買いました。

 いつも帰りは、イオン止まりの便に乗って、そこから家まで歩くのですが、今回は、東武金崎駅から電車に乗ったのです。駅のホームに親子連れが一組いました。ホームを歩いていたら、『おじちゃん、黄色い線から出ちゃあダメだよ。危ないよ!』と注意されたのです。とっさに、『アッ、そうだねいけないね。ごめんごめん、ありがとう!』と返事をしたら、彼はホッとしていました。

 お父さんに日頃注意されていて、それを守っていたのでしょう、違反していた私を見て、『危ないよ!』と警告してくれたのです。県の南の方の小学校一年生で、ヤマトくんと言っていました。三歳の赤ちゃんがいて、お母さんが働いていて、今日はお父さんと二人の電車旅で来ているのだと、質問したら、ハキハキと話してくれました。

 そんな感謝や感心したりの会話のあった午前中でした。子どもの頃、大人がよく話しかけてくれたのを思い出します。叱られることも、褒められることもあったのです。今は、なかなか会話がなされない時代になってしまったのでしょうか。若者は、スマホに夢中で、電車に乗ると、イエホームから一斉にスマホ中毒になっているのです。

 前回の電車利用には、インドネシアから働きにやって来た、実習生の青年に話しかけたのです。25歳で、群馬県に、両毛線に乗って行くのだと言っていました。『日本の生活は、どう?』と聞くと、辛いことが多いのだそうです。待遇も、良くないし、5年いるそうで、帰ろうかと思っているが、なかなかできない、そんなことを話してくれました。栃木駅で降りて、両毛線の改札まで連れて行って上げました。それが嬉しそうでした。

 電車の中は、みんな会話を拒絶してスマホ操作の人ばかりですが、子どもや外国人は、そんな機器に誘惑されないので、人間らしくているのです。家内は今夕、駅のコンコースの街中ピアノを弾きに出かけて行きました。弾いてると、年配のご婦人が、自分のできないことをしてる家内を羨ましがって、話しかけて来たのだそうです。娘さんが、明日ガンの手術をするとかで、元気に出る賛美を弾いて差し上げたそうです。

 黙っていないで、みんな会話を楽しんだらいいのです。個人主義に害されて、人と人との交流がなくなってしまった現代、人はますます孤独になってしまうからです。ことばを駆使できるからこそ、人は人でありうるのです。『電車乗った時など、隣のおじさんに語りかけてごらん。いろいろな話が聞けるから!』と中学の担任が、個人的に勧めてくれたことがあって、いまだにそれを実行中なのです。

(ウイキペディアによる「東武日光線」の電車です)

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